藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

セネガルの人たち

  

   セネガルの人たち
 40年ほど前の話である。市ヶ谷の左内坂を上がって右に曲がったところに「東京インターナショナルセンター」というJICAの研修員の宿泊施設があり、その中で初級日本語教育が行われていた。JICAの研修の最初に、日本と日本文化に慣れるために、また、研修期間の調整(はっきり言えば、研修プログラムが組み終わって、余った部分の消化)のためにも一日5時間、1~2か月の初級日本語教育が行われていた。漢字は、なしで、ローマ字日本語で教える日本語教育だった。初級会話日本語である。
 そんな日本語教育の中で、セネガルの人たち5人ぐらいのクラスがあった。1週間に1回、1日5時間、日本語学習を通して付き合うと、次第に気心も知れてくる。時々、「このセネガルの港から奴隷売買の船がアメリカに出ていった」と写真を見せてくれる人もいた。また、日本人のガールフレンドができたという人もいた。別に聞きたくもなかったが、私が日本人代表の聞き役のようになることもあった。
 ある日、ふと「日本人の肌の色をどう感じるか」と聞くことがあった。すると、あるセネガル人は「やけどした皮膚のように感じる」といった。彼ら、褐色や黒い肌から見ると、黄色い肌はそのように感じるのかとハッとした。
 5人のセネガル人の中に入って、日本語を教えていると、どちらが外国人かわからなくなることがある。数としては私が外国人なのである。『荘子』の胡蝶の夢の寓話が頭に浮かんだ。荘周は夢で蝶となった。楽しくそこらを飛び回った。目が覚めると、荘周である。どちらが本当の姿か。「黄梁一炊の夢」「邯鄲夢の枕」。永遠の中の一瞬、どちらが本当か。そうした相対化のヒントを教えてくれたセネガルの人たち。彼らは今、どこでどうしているのだろうか。



                          2023.4.10    月曜日

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