藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

「支那」という言葉について

   

       郭沫若 かくまつじゃく


 「支那」という言葉について
  前回、大正の「支那趣味」について言及したので、「支那」についても述べておく。日本、中国、世界の比較文化を研究する立場から。
 1911年に中華民国が成立するが、軍閥割拠の状態で、中国は、1927年に国共合作しても、国民党と共産党の闘いは続いて、日本は国家形成能力のない中国という日清戦争以来の考えを保持し、中国に侵攻していった。1915年には時の首相、大隈重信が対華二十一か条を中華民国政府に突き付け、財務と軍事の両面で日本人顧問を中華民国政府に置くように要求した。日本は中国を飲み込もうとしたのである。そういう状況で、日本人は「中華」=「世界の真中の華」とは生意気だ、昔からの日本での呼び名「支那」でいいというムードが強かった。つまり、国家形成能力のないものは「支那」で十分という意識だった。国として認めないと暗に馬鹿にしていたわけである。今でも日本人の半分は馬鹿にしているだろう。自分の尻に火がついているのに。
 「支那」とは「枝葉末節」の「枝」=「支」(本に対する枝、末)と中国人はとらえるようである。中国の政治家・文学者、郭沫若(創造社グループ)が「支那という言葉は差別語だから使わないで欲しい」と言ったことも関係し、良識ある日本人は使わないが、エキセントリックな石原慎太郎や一部評論家渡辺昇一、無知な中国料理店は意識的、無意識的に「支那」「シナ」という言い方をしてきた。
 「己の欲せざることを他に施すことなかれ」とは『論語』の言葉である。無用の争いは避けたほうがいいから、「支那」という言葉は使わないのが賢明である。
 もっとも、若い中国人は過去の歴史を知らないから、「支那」と言ってもきょとんとしている。
 まあ、挑発するのは互いにやめて、合意できるところから仲良くやっていきましょう、というところです。それもわからないのは中国、日本について、歴史、文化の教養がないということになります。日清戦争以来の差別意識を踏襲しているということです。過去の歴史を比較文化的に学びたいと思います。政治文化、政治における傾向、特徴もそれぞれによってずいぶん違います。
    日本には昔から脅威、尊崇、小中華主義という三つの中国観があります。そのことを自覚的に認識したいと思います。


                               2023.5.18  木曜日

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