藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

インディアン論 川本三郎

      


   インディアン論  川本三郎
 「殺す側と殺される側の論理」 川本三郎  内容要約
 インディアンはアメリカ映画で単純な悪人であったことはない。カーク・ダグラス主演・製作の(1954)『赤い砦』でヒロインは敵方のインディアンの娘であり、ジョン・ヒューストンの(1960)『許されざる者』でもオードリー・ヘップバーンがインディアンの娘(それも最初は白人の養女であったが、ある日、インディアンの娘であることが判明する)を堂々と演じている。
 単純な白人悪玉論、インディアン善人論、その逆も成立していない。
 白人一人がインディアンに殺されると、その数十倍のインディアンが殺されていったのは事実である。そして、ジョン・ウェインもヘンリィ・フォンダも、なんらのためらいもなく映画の中でインディアンを殺し続けていったのも事実である。また、その中で『赤い砦』などが作られていったのも事実である。
 ロバート・マルドリッチ『ワイルド・アパッチ』は伝統的なアメリカ西部の屈折、ゆがみの延長線上にある作品で、下級兵士ほど最前線に追いやられ、インディアン虐殺へ深入りしていってしまう。片や、若い中尉は、白人キリスト教徒をインディアンから守る使命にはつらつとしている。他方、オランダからの開拓移民もインディアンから見たら、まぎれもない侵略者である。
 白人の居留地から逃げ出したアパッチは白人のために働いているアパッチの手で殺されていく。
 黒人エルドリッジ・クリーヴァーはインディアン問題の結論を次のように出している。「私はインディアンの彼らの土地における独裁を認める。アメリカは彼らの土地なのだ。生存者がどんなに住まなくても、そいつが白痴でもだ。インディアンにはその権利がある。」
 単純に、殺される側の論理を展開することによってでは、決してインディアンは復権しない。 川本三郎(昭和61)『同時代を生きる「気分」』講談社 所収


   ノート
 満州で満蒙開拓団は国策で入植したが、彼らも満州人からしたら、侵略者以外の何物でもなかっただろう。こうしたことをマスコミは何も報道しない。都合の悪いことは報道しないのがゲスマスコミだ。
 領土、領空、領海の「実効支配」がないと、その地域は当該「国家」のものと認められないと「国際法」(司法がないから、結局は慣習による、権力による決定だ。二国間協定が基本だから、利害中心の法となる。)は言う。「実効支配」とは軍備力による排他的支配のことである。軍事産業、軍事企業が「国家」と結託して栄えるはずである。そうなる前に外交を前進させろというほかない。平和を求めるならば。


                           2023.5.13   土曜日

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