藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

戦前の評価

                教育勅語
  戦前の評価
 ここにいう戦前とは1945年以前のことである。明治維新から後、1889年の大日本帝国憲法公布まで日本は安定していたとは言えない。西南戦争や自由民権運動といった反政府運動は盛んであったし背景には旧幕の武士層不穏分子が存在した。
 1890年発布の教育勅語は天皇のために命をささげることを大日本帝国臣民の本懐とすることを教える天皇からの勅語であり、1891年の内村鑑三不敬事件は、勅語の書かれた宸書に頭を下げる角度が足らなかったと難癖をつける国家権力の精神的暴力であった。人々は各小学校に奉安殿が置かれ、天皇の御影が飾られるに及んで、神秘的な天皇の権威に、作られた神々しさへの恐れと神の国の臣民としての誇りの両方を感じたことであろう。戦前、日本は「神の国」で、日本臣民は「世界で一番幸せな国民」であった。
 質実剛健、質素倹約、お国のために生きることを至上の幸福と教える戦前、教育はしやすかったであろう。しかし、国のために滅私奉公する戦前の日本がすべて良かったとは言えない。「非国民」と言われることは「死んでしまえ」ということと同じであった。隣組の連帯責任も、相互監視の息苦しさを社会にもたらした。
 戦前の日本を既成左翼は全否定し、既成右翼は全肯定した。自民党も黙しつつも戦前に肯定的な雰囲気を醸し出してきた。安倍元首相以来、「先祖帰り」的な戦前肯定的なムードが醸成されてきているのは、参政党の「日本は侵略などしなかった」という発言に引き継がれている。日本第一党は在日コリアンにたいして情け容赦ない罵倒を繰り返している。戦前の朝鮮人差別を想起させる。相手の身になって考えたら、とても言えたことではない。
 この国には、幅広い教養に基づく、良い面、悪い面の両方を均等に評価する判断力が育つことはないのだろうか。TikTiokなどSNSの異なった意見への排他的、攻撃的な、戦前の日本全肯定、天皇崇拝、狂信的言辞を見ると、そうした思いを禁じ得ない。
 既成左翼の自らを顧みて反省することのない、自己変革の努力のない、他者批判一辺倒のエトス(基礎的な精神的雰囲気)の罪も大きい。
 そこに比較文化学的研究の必要性を強く感じる。戦前と戦後の比較。日本と他国の様々な面の比較。政治文化も国によってかなり異なる。日本のゲスマスコミは、アメリカワシントンの言う通りに、それ以外は自らの見方が正しいという視点でしか報道する気がない。
 今回のG7でも、G7反対デモの報道について、テレビ報道はなかった。SNSでしか、我々はG7反対デモについて知るすべがなかったのである。権力におもねるゲスマスコミ。


                            2023.6.2   金曜日

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