日本の中の中国 黄檗山万福寺
万福寺
日本の中の中国 黄檗山万福寺
1644年に明が滅んで清が北京に遷都する。
1659年、隠元和尚が黄檗山万福寺を創建する。この秋、朱春水が来日帰化している。
京都の宇治にある万福寺を入ると、カリンの木がある。つるつるとした表皮で、隠元が来日した際に、中国から持ってきたものであろう。宗教宗派は多くの場合、民衆教化、民衆懐柔のために文化的事物をもたらす。禅堂には祖師等の全身像がずらりと並んでいる。時に威圧的な力強さを感じる。無駄のない、太い造りの中国様式の禅寺である。やがて、万福寺は精進料理の普茶料理も有名になった。
日本の中の中国を見るにつけ、趣深いものを感じる。コリアについてもそうである。広隆寺のある西京区は秦氏 ハタシ の地盤で、秦氏は渡来人である。広隆寺の半跏思惟像のアルカイックスマイルは東アジアの連続性を我々に教えてくれている。
アジア人同士仲良くしよう。
2023.6.3 土曜日