文學談義 ① 川端康成 『雪国』
文學談義 ① 川端康成 『雪国』
川端康成『雪国』の最初は有名な
国境の長いトンネルをを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。
である。
何が、誰が「国境の長いトンネルを抜け」たのか、書かれていない、とは翻訳家や文学者がよく言う。
川端という人はこういうものの言いようが好きなのだろうか。ノルウェーのノーベル文学賞受賞講演でも「美しい日本の私」と、「美しい日本」なのか「美しい私」なのか修飾関係がわからない題で講演を行っている。
『雪国』が書かれたのは昭和20年、1945年をはさんで前後あわせて10年ぐらいのことで、『雪国』に戦争のことは何も述べられていない。それは日本文学の政治を書くことを野暮だと嫌う伝統のなせる業と考えていたが、川端の戦争への抵抗の意志が戦争のことを一言も書かせなかったという解釈もあるそうだ。
『雪国』は雪国の芸者二人と西洋に一度も行ったことのない西洋芸術の評論家の中年男の話であるが、芸者駒子の声を川端は「悲しいほど美しい声」と表現している。美しさが極まると悲しさになるのだろうか。日本的な言い方のようにも思える。
おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな
こういう俳句もあった。
日本の美とはある場合は瞬間に垣間見える美しさ、はかなさ、宴の後の寂しさのようなものでもあるようだ。そして、そこには生々流転への悲哀のようなものが感じられる。さらには夭折の美化へも進んでいくおそれがある美である。心を痛めないぐらいの悲痛感を美として愛でるべきだと言った中国の詩人がいた。大人である。文学の限界を見切っている。儒教とはそうしたものだ。
川端康成が新感覚派と言われるのは、夕暮れの列車にいて、向こう側の車窓に映る自らの目に驚いて、それを描写するような感覚に表現されている。
川端康成がノーベル文学賞をとったのは、西洋人の目から見て、非西洋的な、東洋的なもの、日本的なものが感じられたからであろう。それをザイードはオリエンタリスムとして批判するだろう。
2023.6.30 金曜日