藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

ケガレ  汚

    

    ケガレ 汚
 ケガレ 汚 はハレに対するもので、日常であるケが蓄積されていくと、ケガレとなり、どこかで解消しなければならない。そのためにハレがあり、昔は祭りがハレの場だった。民俗学の一般的理解ではそうである。
 今やハレとケの境界はあいまいになり、テレビが躁病的に日々、ハレの場を提供している。ニュース報道も一種のハレの場で、奇妙奇天烈なものであるほどハレ性が高くなる。しかし、その目的はスポンサーの好む視聴率を上げて、スポンサーの製品を視聴者により多く買わせることにある。
 ケの解消が行われない現在、ケはケのままである。ケガレは敗者復活の場を失い、ルサンチマン 欲求不満は増幅される。
 福島第一原発及びそこから排出される処理水はいつまでたっても文化的にはケガレである。どんなに科学的に大丈夫といっても、文化の問題、ケガレの問題なのだから的外れである。
 やはりケガレを解消するハレの場が必要である。早急にハレの場について協議すべきである。
 そういう考えも必要だ。
 岸田首相は支持率が下がると海外へ行く。ハレの創出のつもりなのだろうが、そろそろそれも効かなくなってきている。


                          2023.9.6    水曜日

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