藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

自然という翻訳語


 自然という翻訳語
 日本語で「自然」という語は元来、じねん と読み「おのずから」という意味である。宗教でも「自然法爾」とか「自然に仏界にいたるべし」などと言う言辞がある。おのずからそうなることを「自然」と言った。
 西洋ではギリシアではピュシスというおのずから生成する概念が存在したが、ギリシアの後のキリスト教のNatureは神によって創造された、人間の利用が自由な物質的存在としての青空や土地のことである。
 もっとも自然法という場合の自然は神に対立、対抗する場合の自然で天賦人権説の根拠としての自然である。自然法の自然は中国の「天」のように上から下への概念ではない。抵抗の根拠である。
 元来の「おのずから」の意味の「自然」に西洋流の人に利用可能な「自然」概念が加わって、更に新しい主客溟合の近代的「自然」概念が日本で翻訳語として成立した。
 柳父章『翻訳の思想』はそのように述べている。
 柳父章という人は大学できちんと系統だった勉強をしていないからか、何度読んでも難解である。かなり偏りがある人である。それでも日本の翻訳論関係で第一人者だから無視できない。私は明晰な文章を書けない人は信用しないが、この人のものは専門上、無視できないので辛抱強く読んでいる。柳父氏が言いたいのは、漢字は日本に中国から形から入り、漢字の元来の意味に日本的な意味を加えて、日本的な漢字理解が醸成されたということらしい。
漢字の何かよくわからないが素晴らしいものらしいという効果をカセット効果(カセットは宝石箱の意。)と名付けている。今はそれがカタカナ英語に乗り移っている。



                       2023.9.11      月曜日

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