通時と共時
Diachronity 通時 と Synchronity 共時
通時と共時
通時と共時は言語学の用語だ。
インド・ヨーロッパ語族の研究に専念していた
通時言語学の象牙の塔に
フェルディナンド・ソシュールが
異議を唱え、
今の言葉、共時言語学の探究を提唱した。
その影響もあり、
外国語教育は現代のことばを教えるようになり、
通時的な教養がなくなってしまった。
言葉の持つ文化性が消失した。
「面白い」とは本来、「おも=顔 が明るくなり、気持ちがはっきりして、
晴れ晴れとした気持ちになる」ことを意味した。
そこから
「こころ楽しくウキウキする」という意味の「面白い」が生まれた。
現代の語学教育はこうしたことをすべて捨象してしまった。
しかし、
最近、通時言語学の逆襲が起こり、
言葉の由来や語源が触れられることもある。
日本語の「私」と英語のI アイ 、中国語の「我」ウォー は同じではないと言い出し
たら、現在の外国語教育は成立しない。
砂をかむような味気ない、理解と暗記と口真似の外国語学習。
通時と共時の両方を教え勉強したらいい。
日本でも中学、高校では
現代国語だけでなく、漢文も古典も教えたほうがいい。
現代国語だけでいいと言う人もいるが、
そういう人は
文化が前代のものを残しながら、
今のものを作っていくものであることがわかっていないのだ。
拝金主義しか頭にないらしい。
人は前代、過去の文化と現在の文化によって
形成されている生き物だ。
人殺し=戦争する には相手の文化など知らず、自分の文化も知らないほうが
殺人マシーンになりきれるから
無教養な人間のほうが為政者には都合がいいだろうが
そうは問屋がおろさない。
2023.9.28 木曜日