藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

「植物にはそれぞれの名前があるんだ。」ン?「らんまん」

 「植物にはそれぞれの名前があるんだ。」ン?   「らんまん」
 最近、終了した朝のNHK連続テレビドラマ「らんまん」で主役の槙野富太郎が何回か「植物にはそれぞれ名前があるんだ。植物はその名前をつけられるのを待っているんだ。わしはそれをしているんだ。」と言う。
 これは嘘である。植物の名前は、人間が人間の分類学の基準で人間にとって役に立つかどうかという基準で付けているものである。
 少なくとも、先験的に植物の名前があるわけではない。
 「発酵」「腐敗」も人間から見た名づけである。
 バカガイ、アホウドリ、ナマケモノと言う命名は当該生物には迷惑な、腹立たしい話だ。人間から、人間の基準で付けた名前である。
 比較文化学的には、キリスト教の影響で、人間は神の似像 Die  Imago として、生物を自分の自由に利用する資格があるという思想が根底にあるということになる。それが通説である。
 しかし、むしろ分析的に考え、総合的に考えない思考様式に問題があるように思う。それは学問の世界でもそうで、自分の狭い分野のことしか関心がなく、他のことは知ったことじゃないというのが、現在の学問の現状だ。
 戦後、天皇が文化的イメージを持つようにするにはなにか研究させるのがいいか゛、何を研究させたらいいかと識者が鳩首会議をして、動植物の分類学をさせたらよいということになったと聞く。分類学は「真理は一つ」という西洋学問に合致し、誰がやっても一つの答えとなるから問題が起こらないである。歴史を専門としたら、大変だ。諸説紛々となる。
 上皇はハゼの分類学だかを研究し、昭和天皇も海の生物の分類学を研究した。
 今上天皇は「テムズ河の水利研究」を行ったが、「政治」が治水と深い関係があることを考えれば、よく保守的な宮内省、識者が認めたものだと思う。今上天皇はいつもにこやかに人々に接し、控えめで穏やか、象徴天皇としては申し分ないが、自分の意志を通す時は通す一面もあるのではないかと推察する。秋篠宮はどうだろうか。皇室定年制などを言って顰蹙を買っている。兄弟でも皇室としての「覚悟」は天地雲泥の差があるようだ。親の影響を考えたら「愛子様」のほうがいいように思う。


                              2023.10.2  月曜日

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