藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

三島由紀夫『金閣寺』の京都   2023.10.18

    三島由紀夫『金閣寺』の京都
 金閣寺の放火消失は三島の作家としての心に訴えるものがあった。
 三島は放火犯の金閣寺の若い僧の立場から
 滅びる美の象徴としての「金閣寺」と自分の一体感が
 敗戦によって乖離し
    生きていくには
 「金閣を焼かねばならぬ」という観念が生じ、
 金閣放火という行動にいたった心理を描写した。
 絶対的な美の象徴としての「金閣寺」への反逆=放火によって
 現実世界に帰ってきた僧は煙草に火をつけ
 「一仕事した人が、そう思うように、生きようと思った。」
 そういう文章でこの小説は終わる。
 『金閣寺』で描かれる京都は僧の生活の場であるとともに、
 師の僧が妾をかこう醜い実社会でもある。
 舞鶴の田舎の寺から金閣寺にやって来た若い僧にとって、
 京都の町はよそよそしい町であったかもしれない。
 田舎から東京へ出ていった若者が持つ疎外感と同じものを
 若い僧は持ったことだろう。
 京都は華やかなみやこであるとともに
 疎外の場でもある。
 都市とはそういうものである。


                               2023.10.18  水曜日

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