藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

格物致知     2024.3.1

   格物致知  かくぶつちち


 「吾の知を致そう(完成しよう)と思うならば、物に即してその(物の)理を窮めなくてはならぬ」(大学『格物致知』)。人間は「知」(認識力)を有するが、知は不完全なものである。一方、万物で「理」を有しないものはない。だから、学問をする者はすべからく万物の「理」を窮め万物に即し、万物の「理」を手掛かりに「知」を完成するように努めなければならない。そうすれば聖人になれる。(p.263)  佐藤雅美(平成28)『知の巨人 荻生徂徠伝』角川文庫 
    
    ノート
 「万物の「理」を手掛かりに「知」を完成するように努めなければならない。そうすれば聖人になれる。「理」とは思考の結果、存在するであろう理想の状態のことを指し、それを手掛かりにして「知」(認識力)を完成すれば、聖人になれるとした。朱子の考えである。平たく言えば、本をたくさん読んで、勉強しろということらしい。本をたくさん読むのは金持ちしか無理だから、王陽明は朱子はエリート主義だと批判して「心即理」の陽明学を主張した。「良知」に基づいて、いいと思ったらやれと言った。大塩平八郎は陽明学に基づいて行動したが、反乱の後のことなど何も考えていなかったから、すぐに鎮圧された。ウィリアム・ブレイクも、いいと思ったことをやれと言っている。厨川白村はウィリアム・ブレイクの詩を愛した。


                    2024.3.1       金曜日

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