格物致知 3 荻生徂徠 2024.3.6
徂徠豆腐
格物致知 3 荻生徂徠
荻生徂徠は「「格物致知」の「物」は聖人の教えの具体的な内容で、それを習って『格(まね)き』寄せること=聖人の様々な教え、具体的な内容をわが物とすること が「格物」であるとした。『格』は『来(くる)』であると言う。そして、具体的な内容がわが物になれば、すなわち『知』が自然に明らかになる。つまり、『知』が至る、『致知』ということになる。それが『格物致知』である」と言った。 (p.264) 佐藤雅美(平成28)
ノート
「理」は観念上のあるべき姿、理想、「気」は現実に存在する物、物質のことである。「気」を窮めると「理」が了解できるという「理気二元論」の朱子に対して、王陽明は「心即理」で、「良知」に基づく実践を重視した。
荻生徂徠は朱子学を根本から徹底して否定して「性は易(か)えられる」(「気質の性」=小人は「本然の性」=聖人に努力次第で近づける ことができる=性は易えられる)ということを否定して、「米は豆にならぬ物に候、豆は米にならぬ物に候」(『徂徠先生答問書』)と言った。(pp.266-267) 佐藤雅美(平成28)
荻生徂徠と言う人は面白い人で、明が滅んで異民族の清が継いだ以上、中華文明の正統はすでに滅んでいて、自分こそ、中華文明の後継者だとひそかに自任していたところがあったと言われる。中国語を原文で頭から下へ従頭直下に読まなければならないと言い、漢文訓読法に異を唱え、俗文學を読んで中国語の白話力をつけ、「文は秦漢、詩は盛唐」が一番だと唱えた。
徂徠は落語、講談の題材にもなり、『徂徠豆腐』という演目がある。近くの豆腐屋に困窮しているとき助けられた。徳川綱吉の側用人、柳沢吉保に気に入られた。新井白石とは相性が悪く、いがみ合っている。
江戸時代、幕府批判をしない限り、学問は自由で、幕府推挙の朱子学を徂徠が批判しても支障はなかった。
比較文化学的にはこういう考察が可能である。
2024.3.6 水曜日