藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

「日本国夷人物茂卿」と署名した荻生徂徠 佐藤雅美(2014.4)

  


佐藤雅美(2014.4)『知の巨人 荻生徂徠伝』角川書店
  荻生徂徠の伝記小説である。荻生徂徠は『徂徠豆腐』という講談、落語、浪花節で有名である。「古今を通じて学者が、それも大学者が、講談はともかく落語や浪花節の主人公として語られた例は、徂徠以外にない。」(p.44)とは佐藤氏の徂徠への賛辞である。
 従 頭直下 しょうとうちょっか―――書を頭からまっすぐ、返り点や捨て仮名に頼らずに読むにはなによりもまず唐音(中国音)を学ばなければならない(p.149)と徂徠は考えた。水滸伝』『西遊記』『西廂記』などを読破することによって唐音を学んでいく学習方法を徂徠は「崎陽きよう(長崎)之学」と名付け、いつしかやたら俗語に強くなっていく(p.79)。また、徂徠は「古文辞」学派を重んじた。「文は則ち秦漢、詩は則ち漢魏盛唐」の「古文辞」学派である。
   享保五年、門人の 晁玄洲 ちょうげんしゅう から玄洲所蔵の孔子肖像画に賛を頼まれた
徂徠は「歳さい庚子こうし夏なつ五月日本国夷人物茂卿拝首稽手にほんこくいじんぶつもけいはいしゅけいしゅ敬題けいだい」と署名したが、その「日本国夷人」が物議をかもして、明治の井上哲次郎は『日本古学派之哲学』(明治 35 年)で「己を卑下して夷人といふに到ては、抑々そもそも自ら侮るの甚だしきものといふべきなり」と批判した(pp.286-287)。しかし徂徠の田中省吾への手紙に「蓋し中華は聖人の邦なるに、孔子没して二千年に垂なんなんとして、猶なほかつ有る無きのみ」とある。徂徠は「孔子よ、あなたの伝統を『夷人』なるゆえに直接継承しうるのは日本国の物茂卿であるといっているのかもしれない。」、「孔子が伝達者であろうとした『先王の道』は日本はもとより、中国でも、孔子以後はまともに伝達されず、彼に到ってはじめて再獲得されたとすれば、『夷人物茂卿』は第二の孔子でなければならない。(中略)今や東海はほれ、『聖人』はここにいると彼はいいたいのではないか」と吉川幸次郎氏が言う(吉川幸次郎『民族主義者としての徂徠』)のを引用して、「そのとおりで、徂徠はむしろ傲然と胸を張って「日本国夷人物茂卿」と署名したに違いない」(p.288)と佐藤氏は言う
    徂徠が江戸から品川に引っ越した。(そういう事実はない。)弟子が祝いに行って転居理由を尋ねると「儒者(徂徠)まじめな顔にて、唐へ二里近い」と言ったという小話がある(pp.288-289)。徂徠並びに徂徠派の学者は山県周南を除いて明治政府の贈位から外されていて、大正天皇の即位大典に際して大量贈位が行われた際にも贈位がなかった。佐藤氏は「やはり「日本国夷人物茂卿」が引っ掛かり、徂徠には贈位されなかった。」(p.289)と推測し、続けて「もっとも孔子と肩を並べた気でいる徂徠にいわせれば、そんなことは屁でもないということになろう」(同)と述べている。日本人の小中華主義は度を越した(と日本人に思える)中国礼賛、親中主義を極度に嫌うようである
  最近のテレビでも親中派どころか、中立派も出そうとしないゲスマスコミ。籔中三十次氏が今日、関口のサンデーモーニングにでていた。良識ある人だ。関口は無教養な風見鶏である。「資本主義も社会主義も行きずまっているようです」と、陳腐な一般論でまとめていた。アメリカゲス拝金主義を批判したことがないゲスマスコミ批判を展開しよう。
                                                                                 
          
            2022.1.9   日

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