藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

 日本語を学ぶ中国人を読者に想定した小説  横山悠太(2014.7)

  


横山悠太(2014.7)『吾輩ハ猫ニナル』講談社
    序に「日本語を学ぶ中国人を読者に想定した小説を書く」(p.7)とある。「漢語」(日本語の漢字の音の複合からなる熟語)とは異なる、中国語の単語に日本語の和語のルビを振って日本語の文章を書くという新しい文体で全篇成っている。たとえば次のような文体である。「自分はその日、長椅 ベンチ に坐って、方便店 コンビニ で買った牛肉片干 ビーフジャーキーを 咬嘶 かみちぎっていた。」(p.55)「外爷 ジイジ はお供の 綉眼 メジロを  つれて公園、外婆 ばあば は  聊天 おしゃべりしに 聚会 よりあい へ出かけているらしい。」(p.66)現代中国語の単語がどのような日本語の和語と対応するのかがわかって、中国語を学ぶ日本人にも勉強になる。日本人と中国人のハーフと思われる小説主人公の次の言辞は作者の心情と重なっているようである。「自分は自分で自分を防衛するために敢えて国境上に胡坐を組み、其処で一人釣り竿を垂らし微睡まどろみの裡で獲物を待つ。そうやって鈎はりに掛かってきた奇特な魚だけを吃って活きていく。そんな人生があったとすれば、或いは自分にとってそれが理想的な人生なのかもしれない。」(p.93)。上記文中“奇特”(中)は「珍しい」(日)ということで、日本語の「奇特」とは意味が微妙に異なる。(“核心的利益” (中)は「中心の利益」(日)という意味で、「かくしんてきりえき」と日本語の漢語で読むほどの語気の強さはない。)
 漢字の意味が日中語で違うし、漢文を書く教養がすでに両国民にないから、「筆談」で互いに理解しようとしても、理解できない。残念~‼️


                          2022.1.10  月

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