漱石と藤村操
藤村 操 夏目 漱石
悠々たる哉天壌 遼々たる哉古今
五尺の小躯を以て此大を測らんとす
ホレーショの哲学竟に何等のオーソリチーを価するものぞ
万有の真相は唯一言にして悉す
曰く不可解
我れ此恨みを懐いて煩悶終に死を決するに至る
既に巌頭に立つに及んで胸中何等の不安あるなし
はじめて知る 大なる悲観は大なる楽観に一致するを
藤村操の辞世の句である。1903年5月22日、第一高等学校生藤村操は華厳の滝に身を投げた。この藤村を夏目漱石は第一高等学校で教えていた。藤村操の自殺は、「煩悶」の時代を象徴する出来事として注目されたが、漱石は「煩悶」という語をいち早く取り入れ、『吾輩は猫である』で使用している。「吾輩」が「餅」をのどに詰まらせる場面でで使用している。
漱石は第一高等学校で宿題をやってこなかった藤村を叱り、その二日後に藤村は自殺する。このことを漱石は忘れられなかったようで、「藤村操女子」の名で書いた「水底の感」という新体詩が残っている。水死を甘美なものとして描いた作品である。
水底の歌
水の底、水の底。住まば水の底。深き契り、深く沈めて、永く住まん、君と我。
黒髮の、長き亂れ。藻屑もつれて、ゆるく漾ふ。夢ならぬ夢の命か。暗からぬ暗きあたり。
うれし水底。清き吾等に、譏り遠く憂透らず。有耶無耶の心ゆらぎて、愛の影ほの見ゆ。
現代語訳
水の底、水の底。
住むんだったら、水の底。
深い約束を深く沈めて、長いあいだ住もう、この私と二人で。
黒い髪の毛の、長い乱れ。
ちぎれた水草がからんで、ゆるく漂う。
夢じゃない、夢の命か。
暗くはない、暗いところ。
よろこばしい水の底。
きよらかな私たちに、
非難は遠くて、悲しみは入ってこない。
あいまいな心がゆらいで、愛の姿がかすかに見える。
以下による。↓
この詩の一方で、『吾輩は猫である』で、漱石は「煩悶」という語を笑いのネタに使っているのである(北川扶生子(2020)pp.62-64)。
明治30年(1897)代は、当時の知識人が国家の権力を暗黙の裡に認め、しかも、それから離れようとする、つまり、国家の問題に正面から触れないで、それを避けようとする時代であった。国家と思想が分裂した時代である(高坂正顕(1999)『明治思想史』燈影舎 p.330)。1910年6月の大逆事件後、同年8月、石川啄木は「時代閉塞の現状」を書いて、国家批判を行っているが稀有な例である。大多数の知識人、大衆は無言で時を見過ごしていく。
2022.1.12 水
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