藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

「魚咬羊」「羊方蔵魚」 「魚汁羊肉」 「洛陽水席」 南條竹則(2013.10)

 

                              南條 竹則
南條竹則(2013.10)『中華料理秘話 泥鰌地獄と龍虎鳳』筑摩書房 ちくま文庫
     南條竹則氏の(2009.2)『中華美味紀行』新潮社 新潮新書 201 「泥鰌地獄の謎」(pp.7-36)では、泥鰌と豆腐を煮ると、水が熱くなる、そして泥鰌が冷たい豆腐の中に潜り込んで「泥鰌豆腐」ができあがるという証言が日本でも中国でも実に多いが、それが「泥鰌と豆腐を一緒に煮ると美味い」(p.33)という事実から生まれ、「泥鰌の中には十匹に一匹くらいの割合で、豆腐に首を突っ込むのがいた」(pp.32-33)という事実をデフォルメした想像の産物であることを明らかにしている。
「魚と羊」」(pp.79-96)では、日本人から見て「中国料理に於ける魚と羊の取り合わせ」が「驚き」(p.79)であったことが述べられている。李鴻章の生まれ故郷である安徽省の合肥に「魚咬羊」(魚が羊を咬かむ)という料理があり(南條氏は実際には合肥に行って食べられはしなかったが)南條氏は奇抜な取り合わせに驚く。また徐州の名菜に「羊方蔵魚」(四角く切っ
て煮た羊肉の中に鱖魚(あるいは鯉)の味付けしたのを挟んで煮る)がある。それに由来する料理に同じく徐州の「魚汁羊肉」(羊の四角く切った肉を魚の汁で煮込むのであろう)がある。こうしたものを妙だと感ずる「私」の文化的背景は「明治まで肉食禁忌を建前とした我が国では、そもそも肉料理というものがあまり発達していない。それゆえ魚と肉という取り合わ
せの料理もまずない。寄せ鍋の中に魚と鶏が同居していることなどはあっても、ことさらに魚の汁でケダモノを煮たりケダモノの汁で魚を煮たりはしない。」(p.87)ことにあると南條氏は考える。では中国ではどうかと言うと、中国料理は魚料理にも鶏だしのスープを普通に使うから、魚とケダモノの配合にさしたる違和感を覚えないであろうが、羊というのはやはり奇怪で(揚州の「荷包鯽魚」のように魚(鮒)の腹に豚肉を詰めて煮る料理はある)、南條氏はその取り合わせを「羊を好み魚に縁遠いみんぞく、すなわち遊牧民族が考えたに違いない!」(p.92)と推理する。(詳しくは本書 p.87-92 参照。)
  このほか「洛陽水席」(pp.191-222)では、スープづくしの宴席である「洛陽水席」について述べている。水席には精進料理の要素が顕著であるが、唐代の洛陽が仏教、道教の盛んな国際都市であったこと、武則天が仏教を篤く信奉したことが理由であると当地(洛陽)の案内書が語ることに異を唱える。「これはむしろ「遊食」としてとらえた方が良いのではなかろうか。唐の都だったころはともかく、その後、洛陽の人々は長きにわたって生活の厳しい時代を経験した。肉や魚や高価な薬剤などが手に入らない庶民は、こうしたもどき料理によって、「食べたつもり」のささやかな楽しみを味わったにちがいない物はなくとも、心でもって食卓を豊かにする観念の遊戯である。その遊戯が、武則天の仏教帰依という史実にむすびつけられて、いっそうもっともらしいものとなり、さらなる発展を遂げたのはないだろうか」(p.222)。こうした推測の裏付けには南條氏の中国料理についての深い学識(本書をご覧いただきたい)が存在する。(南條氏は本人は言わないが、中国料理関係の古典の文章を読みこなす語学力を持っている。)そして、中国食文化への尊敬の念と類稀なる好奇心が根底に存在している。それはかつて日本人が中国に対して持っていた憧憬につながるエトスである。南條氏はその憧憬の実体を自らの舌と知力で解明することに生きがいを感じているようである。南條氏は中国の深い食文化に魅せられている。かつて多くの日本人が中国文化に対して持っていたエトスである。もっとも、今の大学生に中国への興味のある点についてアンケートをとると、中国料理への興味が上位に来るから、そのエトスは今も健在であると言えるだろう。


                             2022.1.14  金

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