藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

「胃腸」と「腸胃」


「胃腸」と「腸胃」
  夏目漱石は『門』を執筆中に胃痛に襲われたが、『門』脱稿後の明治43年(1910)6月6日、長与称吉(ながよしょうきち)の「胃腸病院」(現・千代田区内幸町)を受診した。便潜血反応が陽性となり、胃潰瘍の疑いがあったので、漱石は一か月ほど長期入院し、長与称吉が主治医となった。長与称吉の弟は作家、劇作家の長与善郎である。長与称吉は10年余のドイツ留学ののち、明治26年(1893)9月に帰国、明治29年(1896)に日本初の胃腸専門病院、「胃腸病院」を設立し、ドイツ仕込みの最新医療が受けられると評判になり、患者が集まり、繁盛した。胃腸病の最初の専門病院だったという特徴とともに、「胃腸」という言葉が初めて使用された病院であり、斬新で革命的な名称は時代に合っていた。それまで、「胃腸」は「腸胃」と呼ばれていた。例えば、中国で紀元前に完成した古医学書『霊枢』には「腸胃の長さ凡そ五丈八寸四分」とある。(参照 山崎光夫(2018)『胃弱・癇癪・夏目漱石』講談社選書メチエ pp.203-205。)
  「経験」なども蘭方医の杉田玄白や前野良沢の書が初出ではないかという考えもあり(荒川清秀氏の説)、肉体部分の語源、由来、出自は医学用語と密接な関係があるのかもしれない。漢語は、元来、公的、権威的なものであるが、医者などの知識人との関係も密接で親和的であると思われる。今後の研究が期待される。
 ちなみに、現代中国語では「胃腸」のことは“肠胃”(腸胃)というから、古代から不変のようである。


                    2022.1.24  月

×

非ログインユーザーとして返信する