藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

現代中国文学と日本の現代文学の早期写実主義上の相違点  何を批判するか


現代中国文学と日本の現代文学の早期写実主義上の相違点  何を批判するか
 現代中国文学と日本の現代文学の早期写実主義上の相違点として挙げておかないといけないのは、前者の鴛鴦胡蝶派(えんおうこちょうは。恋愛小説。)との関係と後者の硯友社との関係の相違である。中国の写実主義者(たとえば沈雁氷(茅盾))は〝游戏消闲〟(「遊戯消閑」)の文学である鴛鴦胡蝶派を徹底して批判、排斥した。一方、硯友社は文学の功利性を否定し(したがって政治小説を蔑み)、江戸趣味をその特徴としたが、自らは坪内逍遥の写実主義の主張を受け入れたものであると主張した。こうした現象が生じたことについて、王向遠氏(現代中国文学、日中比較文学研究者)はこう言う。日本の写実主義は根本から伝統を否定しておらず、それは改良主義の写実主義であり、逍遥が馬琴の作品を否定したのは、馬琴が〝以文載道〟=文を以て道を載せ、真実性を失ったからであり、馬琴の作品で宣揚されている孝悌忠信仁義礼智等の封建道徳自体は否定していない。坪内逍遥は作品の描写技巧と思想内容を完全に分けたのであり、この角度から見ると、坪内逍遥の写実主義は形式主義の写実主義であったと。現代中国的な解釈であるが、事実、坪内逍遥が元来、少年時代に戯作に親しみ、勧善懲悪の信奉者であったことを考えればこうした解釈も首肯できないわけではない。その馬琴の作品に対する批判も客観主義の描写でないことがその主な理由である。しかし、硯友社の側が写実主義を自らの側のものと見なした理由として、日本文学では内容的に文学とは「ひまつぶし」の面、そして「精神の自由」=「何を書くかは作者の自由」という面を持つものだという共通理解が文学者の間に存在したからではないかと考えられる。少なくとも坪内逍遥と硯友社の間には中国の写実主義者と鴛鴦胡蝶派の間に見られるような排斥関係は見られない(正確には写実主義者の硯友社への一方的な批判、排斥は見られない)のである。重複するが、硯友社にとって写実主義という形式を採りながら江戸趣味という戯作的傾向の内容を持つことは何ら矛盾を感じることではなかったが、それは内容についての規制(たとえば中国の場合には〝游戏消闲〟はだめで「載道主義」でなければならないといったもの)が中国に比べてかなりゆるやかであった(場合によっては野放図で規制などなかった)ためではないかと考えるのである。
 中国では、まず〝基本〟(多くは政治)がすべてを支配する。その上で他の自由がある。現実にはそうではなくても、建前上はそうしようとする意識が強く働く。(現実があまりにアナーキーであるからだ。)日本ではモザイク的に同時進行的にさまざまなものが併存する。日本型を「あいまい」と見るか「多様性」と見るかは見る人の主観性、価値観、伝統的な文化に委ねられると言えよう(拙著(2011)参考)。コロナへの政府の対応を見ていると、ぐずぐずで、もともとこういう国なんだと思う。しかし、同調圧力はどこよりも強い。英語以外の外国語、欧米以外の国のことを勉強すると、日本の特殊性がよくわかる。私は優劣ではなく、客観的に述べている。小説についても、和洋中の比較で考えなければならないと思う。かなりの教養のいる作業である。だれも今までしていない。日本のことを本当に理解するには、中国の日本化と欧米の日本化の両方をみなければならない。コリアの日本化も見なければならないだろうが、これは私の手に余る。将来、誰かが明らかにするだろう。朱子学の日中朝の相違についてはある程度の学問的解明が進んでいる。山崎闇斎はある程度のことを江戸時代にしている。水戸学がそれを利用して、天皇崇拝の精神的支柱として、攘夷運動を展開した。


                               2022.1.26   水

×

非ログインユーザーとして返信する