藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

2022.2.1 火 BS3 午後9時―10時 アナザーストーリー 村上春樹 犬HKの神話作りへの阿り


2022.2.1 火 BS3 午後9時―10時 アナザーストーリー 村上春樹 犬HKの神話作りへのおもねり
 三部構成の村上春樹神話作りの番組。
 第一部 村上春樹の人と経歴  村上春樹が早稲田時代、新宿のジャズ喫茶 Pitin  で渡辺貞夫が演奏し、吸っていた煙草を床に捨て、唾を吐き、靴でもみ消すしぐさなどに見とれ、「東京に来てよかった!」と一緒にいた友人に告げた話や吉祥寺でジャズ喫茶をしていた経歴などが語られる。『ノルウェイの森』が200万部売れたことや「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」(仏教的概念の安易なパクリと考えられる)ことなどが述べられているその本を神格化(大げさに言えば)している。『ノルウェイの森』が中国でよく売れたことについて、藤井省三名古屋外大実証主義権化教授(東大名誉教授。魯迅研究実証主義を確立。感動の薄い、対象を調べ尽くす文学研究方法(東大のお家芸)を確立。)は個人主義の中国での高まりとそれに呼応する村上個人主義の中国への伝播と高く評価するが、明治大張競教授がかつて週刊誌(たしか『週刊ポスト』)に対談で「今までにないソフトポルノだったから中国で売れただけ」と言っていたことの方が印象的で、正鵠を射ていると思う。『ノルウェイの森』は、漢語をちりばめたそれまでの小説のスタイルを一新し、中学程度の英語で書いて、それを日本語に訳したような平易な文体で、個人のことに終始する内容が自己中心の時代風潮を象徴的に表現していたということだろう。自分のことが一番大事、それでも彼女は欲しい(直子と緑のような)という時代風潮は今も続いている。個人幻想から対人幻想へ。共同幻想へはもはや行かない。
 第二部 大学紛争の時代と村上春樹 村上春樹は全学連ではなく、ノンポリとして大学紛争時代の大学生活を送った。学生運動には批判的で、どうせ卒業したら、ネクタイ締めてサラリーマンになるんだろうと、反学生運動的である。学生運動家を「権威」と捉え、権威への反発を主調としている『ノルウェイの森』は学生時代の村上春樹の自画像であろう。
 第三部 世界と村上春樹文学 『ノルウェイの森』はベトナム出身の在仏映画監督のたっての希望で、映画化される。松山ケンイチ主演。それを村上春樹文学の「世界化」と暗に讃嘆するスタンスの犬HK。犬HKたる面目躍如。犬HKは「権威」「権力」がお好き。政府の御用放送が本質で、今回も三部構成の村上春樹神話作りの番組を放送したということである。
  不思議なのは、村上春樹、村上春樹文学への批判が一言も述べられないことで、安倍一強の8年間の「後遺症」がこんなところにも垣間見える。
  『ノルウェイの森』は私見では、同性愛、性描写も結構露骨な自然主義的小説である。個人が一番大事としながら、異性に魅かれる、あまり自己主張をしない「草食系男子」の恋愛遍歴の物語。
 番組最後の「壁と卵」論の提示は、村上春樹の「卵」側立脚論をクローズアップして、村上春樹の「人道性」をアピールするという陳腐な終わり方である。村上春樹がノーベル文学賞をとれないのは、アメリカナイズされた色合いが濃すぎて、「日本的」な要素が希薄であることと、「人道性」も個人が一番大事という主潮にかすんで見えるからであろう。

 私は村上春樹批判が聞きたい。それが民主主義であろう。日本の清一色(チンイーソー、同調圧力的、全体一色)的体質は今も昔も変わらない。
 最近、村上春樹のこの10年の本をざっと読んだが、文体は確立されているが、何らの感動もなかった。本人はかなりこだわりの強い個人主義者であろうことは確かだが、小説でのサービス精神は、ストーリーがだれてくると、性描写表現を入れて読者の注意をひくことに見てとれる。小言甚平的な爺さんだろう。早稲田に記念館ができたというが、学生数が四万人という異常性をまず自覚せよ、都の西北大学よ。

                      2022.2.2  水

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