藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

西洋と日本の「自然」概念の相違 日本を経て中国に移入された自然主義の特徴

  


西洋と日本の「自然」概念の相違 日本を経て中国に移入された自然主義の特徴
     西洋の自然主義における「自然とは客観的、科学的な意味での「自然」であった。日本の自然主義の「自然」とは道徳や善悪の判断を超えたところに存する人間の内面の自然、あるがままの心の動きとしての「自然」であり、古来、日本人は文学的観念としてのそうした「自然」を尊重してきたのであった。文芸思潮の流れや時代背景との関係もあって一九〇六年から一九一〇年の日本の自然主義は「個の探求」を特徴とし「みずからの煩悶」、「懺悔」、「悲哀」の暴露を中心とするものとなった。他方、日本を経て中国に移入された自然主義は「載道主義」的、「勧善懲悪」的伝統文化観念によって、内容としては日本的自然主義(「幻滅の悲哀」「悲哀」)のそれを捨象し、形式としては描写方法としての科学性、客観性としての「自然」を採用しようとしたのであった
 現在、文学がメディアの中で占める位置は以前に比べて大きく後退した感があるが、テレビニュースのとりあげ方ひとつをとってみても、中国では〝报告喜,不报告忧〟(「いいことを伝え、悪いことは伝えない」)が依然、中心であるのに対して、日本では不愉快で暗いニュースが報道の中心になっている。その意味で現在においても「載道主義的」、「勧善懲悪的」、「政治的」と「暗黒暴露的」「個人的」という両国の文化的相違は存在しているのではないかと思う。日本から中国を見ると自由がなく堅苦しく見え、中国から日本を見ると節操がなく、野放図に見える。この溝を埋めるためのプロトタイプを今後、比較文化学的に「自覚」し、過去と現在の中に探求していく必要があると考える。(拙著(2011)参照。)


                                2022.2.4  金

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