藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

柄谷行人の「『草枕』について」


 柄谷行人の「『草枕』について」
 柄谷行人の「『草枕』について」(新潮文庫 夏目漱石『草枕』所収)は、漱石は『草枕』という「俳句的小説」を「19世紀西洋の“文学”への批評として書いた」とする。「文学」とは近代西洋のそれだけではなく、『草枕』のような奇妙な小説も「小説の小説」として読んでよいような意義を持っていると言う。
 何一つ明確なイメージを指示しない語(漢語)の奔放な駆使がこの小説の特徴であり、漱石が『草枕』を書く前に、『楚辞』を読み返したという事実は、この小説が徹頭徹尾「言葉」で織り上げられたものであることを証していて、それは漱石が過剰に“言葉”を持っていたからで、言葉が何かを表す記号に過ぎない=貧しい「近代文学」を漱石は嫌ったとしている。筋だけではない「文学」「小説」の存在への気づきが必要とかんがえているようだ。
 「われわれはたんに『草枕』の多彩に織られた文章の中を流れて行けばよい。立ちどまって、それらの言葉が指示する物や意味を探すべきではない。漱石は、そのように書かれそのように読まれる作品が“文学”として受けとられないことをむろんよく承知していたのであり、むしろそのような状況において『草枕』を挑発的に書いたといえる。」(昭和56年9月、文芸評論家 柄谷行人)


 当時、明治39年(1906)は自然主義全盛期で、漱石は「余裕派」と文壇的作家から軽視され、基本的にアウトサイダーとみられていた。自然主義文学が現実と真実を混同したのに対して、漱石は豊かな教養(落語、漢籍、英文学等)から、「文学」の多様性について、知らしめるために『草枕』を書いたのであった。漱石が文章のリズムや意味以外の情感、書き言葉、漢語の豊饒さなどを文学で表現したのは、それもまた文学であることを人々に知らしめようとしたからであり、人口に膾炙した『草枕』の冒頭部分からもそのことは見て取れる。



                         2022.2.7   月

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