藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

江藤淳「漱石の文学」  漱石の俳句  やすやすと なまこのごとき 子を産めり



江藤淳「漱石の文学」
  江藤淳「漱石の文学」(新潮文庫『草枕』のあとに付属の文章)は漱石文学の核に潜んでいるものは「寄席趣味に象徴される江戸的な感受性」であるとし父親が江戸の名主(武士文化と町民文化の両方を知っている)であったことの影響を述べ、漱石文学に江戸との連続性を見出している。一体、明治の政治家や啓蒙者は、江戸との連続を考えないようにし、「御一新」の明治を強調しようとする。福沢諭吉はその代表であり、儒教倫理を排斥し、西洋基準を啓蒙、流布したが、文明の影(文明国の未開国の植民地化など)の部分には、目を向けようとしなかった。(いや、むしろ、文明化しない中国や朝鮮を「アジアの悪友」と断じ、絶交することを「脱亜論」で宣言した。わたしは諭吉はゲス野郎だと思う。勝海舟も臆病者で、金にケチな諭吉ということを言っている。慶應義塾も経済が有名なのは、金勘定に細かい諭吉の反映だろうと思うと、文化=傾向というのは人間でも学問でも変わることはなく、三つ子の魂百までといったところだ。おっと、漱石の『草枕』みたいな口調になっちまった。)
    それに対して、漱石は、近代の影を注視し、江戸から続く「善」と「美」の原理が脈々と生きている『坊ちゃん』を書いた。それは勧善懲悪の「型の如き人間」ばかりが登場する小説で、坪内逍遥らが目指す西洋流の「真」の文学=「新文学」ではなかったが、民衆は「善」や「美」、「風雅」や「諧謔」を求め、漱石文学を支持した。
 漱石は、同時代への嫌悪感をユーモラスに饒舌に語るという作風から、「近代」に生存を余儀なくされている人間の孤独な影を描くという作風へ転換を示し、『それから』はその意味で画期的な作品であると言えると江藤淳は述べている。
 江藤淳は「則天去私」という言葉に近代人の生き地獄からの脱出を夢見ていた漱石を見出している。「天」というより、「地」の生命力に、孤独とエゴイズムを超える契機を見出していたように思われるとし、「近代」のかなたに突き抜けた彼が、人間の生命の源泉にある深い洞察を行いつつあったことは疑い得ないものと思われる、という言葉で江藤淳は「漱石の文学」(昭和54年9月、文芸評論家)を締めくくっている。


  漱石は妻の鏡子が子を産んだ時、次のような俳句を詠んでいる。


  やすやすと なまこのごとき 子を産めり 


  それは、生命の力への畏怖と驚きであったと思われる。


                        2022.2.8   火

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