藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

漱石の「則天去私」について 今田康子(令和2)を中心にして


漱石の「則天去私」について 今田康子(令和2)を中心にして
 漱石は過去に参禅したことがあり、「父母未生以前の我」という公案を与えられ、うまく答えられなかった経験がある。神経衰弱と癇癪持ちは治らなかった。
 今田康子(こんだ やすこ)(令和2)『私の漱石 明暗の表題 明暗雙雙をめぐって』私家版 は禅関係から、漱石の「則天去私」を解明しようとしている。曰く「明暗雙雙は『碧巌録』のことばである」(p.148等)「明とも暗とも迷とも悟とも是とも非とも一方的に見るべきではないのが明暗雙雙である」(p.153)「明暗は回互的に働くもの」(同)「この正偏回互の世界観を明暗雙雙というのである」(p.153)「(明暗雙雙は)人間の実在をありのままに見る正偏回互の世界観(である)」(p.155)等。
 漱石の『明暗』については、今田康子(令和2)は次のように述べている。「「負けまい」という打算の醜さが描かれており、それを取り巻いている諸々の人間模様が、ありのままに叙事されているのみである。」(p.158)漱石は死ぬ一か月前の「木曜会」で「「則天去私」は見る側から言えば、「一視同仁」(=無差別)で、『明暗』はそういう態度で書いている」という趣旨のことを述べている。「絶対とか相対とかの区別で「則天去私」を定義するものではなく、むしろ絶対、総体と区別することを否定したところにその意味がある。」(p.168)「則天去私」を漱石の新しい文学態度と捉え、山岸外史氏の漱石は「(それまでの)認識哲学から存在と行動以外何らの存在も存在しないという実践哲学に入った」(p.169)という言葉を同様の趣旨のものとして援用している。
 結論だけ書いているので、わかりにくいであろうが、要は、それまでの分析的態度から、すべてを受け入れるような精神的高みに至った漱石がその心境を「則天去私」となずけたということであろう。
 少なくとも言えるのは森田草平が「私を去って、天に則る」と二項対立的に「私」と「天」をとらえたのとは違う考え方である。明と暗は相互依存的で、どちらか一方だけでは成立しないというのは東洋哲学的で、気に食わない奴は鉄砲をぶっ放して殺してしまえばいいというアメリカゲス映画の典型とはちがう考え方である。アメリカゲス映画は、似たようなものが多く、程度の低いものが多い。疑い、疑心暗鬼、敵を武器、火薬でぶっ殺す、そんなのがほとんどである。
 『明暗』を今日は九十一回から読み進める。一日、三回分くらい読む。心理を表現するのが巧みである。


                               2022.2.10  木

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