藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

漱石と熊楠  三田村信行(2019)


漱石と熊楠  三田村信行(2019)
 夏目漱石と南方熊楠は、1867年、慶応三年の同じ年の生まれである。1884年、明治17年の9月に東京大学予備門に同時に入学している。翌1885年、試験の結果、落第した熊楠は、翌年にはアメリカに向かい、1900年まで欧米で勉強、研究している。他方、漱石は1886年、腹膜炎のため、試験を受けられず、留年し、それまでの学業への取り組みを反省し、以後、首席を通す。後、帝国大学文科大学を卒業し、大学院に進み、1895年、明治28年には、松山中学に赴任し、その年の12月には、鏡子と見合いし、婚約、翌年、赴任先(第五高等学校)の熊本で結婚している。
 熊楠は、1909年、明治42年に神社合祀反対運動を開始している。
 漱石は、1911年、明治44年、2月に、文部省から送られてきた博士号を辞退し、「学者貴族」を生み出す当時の博士制度に危惧を感じていた。
 漱石は、1907年、明治40年4月に朝日新聞社に入社している。東京帝国大学文科大学の教師は事務的なことも多く、肌に合わなかったようである。
 二人に接点はなかったようだが、こうした二人を比較する比較文化学的な本を書いたことについて、三田村信行氏は次のように、あとがきで述べている。「わたしは、ただ、公刊された資料や諸家の研究書に拠って、漱石と熊楠のいわば標準的な伝記を同一紙面にならべてみせたにすぎません。そうすることによって見えてくる“景色”が本書の主題です。」(p.385)(三田村信行(2019)『漱石と熊楠 同時代を生きた二人の巨人』鳥影社刊)。
 学者と言っても、自分の狭い専門しか知らない人がほとんどである。私は、教養を持ちたいので、比較文化学的な知の巨人に魅かれる。内藤湖南とか、夏目漱石とか、南方熊楠とか。語学・文学・歴史・哲学・芸術等、日本・外国等、幅広く勉強、研究して、教養のある人間になりたい。そういう人間が増えることによって、社会は変わっていくのだと思う。

                                  


           2022.2.12  土

×

非ログインユーザーとして返信する