藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

1891年(明治24)の漱石の俳句 夭折した兄嫁への哀惜の念

         


1891年(明治24)の漱石の俳句 夭折した兄嫁への哀惜の念
 1891年(明治24)7月28日 兄嫁の登世が夭折し、漱石は哀惜の念を表出した俳句13句を作っている。以下、その一部である。


 わが恋は闇夜に似たる月夜かな      江藤淳によると、漱石は兄嫁にほのかな恋情            

                    を持っていたという。


 朝貌や咲いたばかりの命哉       朝貌(顔)(あさがお)に25歳で死去した兄
                    嫁・登世の面影を重ねている。坪内稔典編 
                    (1990)『漱石俳句集』岩波文庫 p.10


 細眉を落す間もなくこの世をば     眉を落す―結婚して妻となる 坪内稔典編 
                    (1990)p.10


 人生を廿五年に縮めけり


 君逝きて浮世に花はなかりけり    「容姿秀麗」と注記   坪内稔典編               
                              (1990)p.10


 こうろげの鳴くや木魚の声の下      こおろげ―虫のこおろき            
                         通夜の句 坪内稔典編(1990)p.11


 骸骨やこれも美人のなれの果     「骨揚の時」と注記  坪内稔典編(1990)p.11


 何事ぞ手向し花に狂蝶         初七日の句  坪内稔典編(1990)p.12


 聖人の生れ代りか桐の花        「その人物」と注記 坪内稔典編(1990)p.12


 今日よりは誰に見立ん秋の月     「心気清澄」と注記 坪内稔典編(1990)p.12


  漱石は、詩人である。そして、一種の雰囲気、感じである「俳味」の感覚も持つ人であった。『草枕』にそれは申し分なく表れているが、その感覚は上記、「わが恋は闇夜に似たる月夜かな」や「こうろげの鳴くや木魚の声の下」「何事ぞ手向し花に狂蝶」「聖人の生れ代りか桐の花」「今日よりは誰に見立ん秋の月」に早くも表れている。
 1891年12月に漱石は、ディクソンの依頼で『方丈記』を英訳している。(三田村信行(2019)漱石と熊楠関係年表 参照)前年、帝国大学文科大学英文学科に入学した漱石は厭世的気分が続き、この年の兄嫁の死によって、世のはかなさを感じていた。この年の5月11日には、大津事件が起こっている。前年には、教育勅語が発布されている。1891年、漱石24歳の年の句作である。


                         2022.2.20   日

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