藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

1897年(明治30)の漱石の俳句

    木       瓜


1897年(明治30)の漱石の俳句


  木瓜(ぼけ)咲くや漱石拙を守るべく     『草枕』で漱石は「節を守る」人は、
                         来世で「木瓜になる」、「余も木瓜
                         になりたい」と言っている。「拙
                         を守る」とは「己の天性に従って世
                         に対処する態度を表したもの」(小
                         室善弘(昭和58)p.58)で、漱石は
                         子規を「最も『拙』の欠乏した男」  
                         と評し、漱石は子規に自分にないも
                         のをはっきり自覚していたという
                         (同)。


  仏性は白き桔梗にこそあらめ          明治27年の暮れから正月にかけて、
                         漱石は円覚寺で参禅した。成果はなかったという。「内観                     

表白」の句は、明治30年になっ

                        て、目に付く。これもその一つと識
                         者は言う。(小室善弘(昭和58)
                         p.63) 仏性という仏になる可能性
                         は、凡ての人に備わっていて、この
                         白い桔梗のような清らかなものだと
                         感じればいいように思う。                     


  月に行く漱石妻を忘れたり           流産した妻を鎌倉において、月の美
                         しい夜に熊本に帰る漱石は、うっか
                         り妻のことを忘れてしまうような心
                         境にいざなわれたという意の句(小
                         室善弘(昭和58)p.64)。諧謔性も
                         あり、「自嘲のひびき」も感じられ
                         る(同)。自分勝手なところを自嘲
                         しているのか。決して、仲のいい夫
                         婦ではなかったが、それなりにやっ
                         ていたのだろう。しかし、翌年に
                         は、鏡子が熊本市内に流れる白川に
                         投身自殺をはかっているから、複雑
                         なものがある。


 1897年(明治30)6月29日、父、直克死去。7月、鏡子流産する。1月、尾崎紅葉『金色夜叉』連載始まる。漱石は感心しない。島崎藤村の(1906)『破戒』の方を高く評価している。1月には松山で『ホトトギス』創刊。


                               2022.2.24  木

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