藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

1903年(明治36)―1904年(明治37)の漱石の俳句

   もの草太郎


1903年(明治36)―1904年(明治37)の漱石の俳句


 1903年        無人島の天子とならば涼しかろ
            楽寝昼寝われは物草太郎なり
            衣更(かえ)て見たが家から出て見たが
 1904年        白菊にしばし逡巡(ため)らふ鋏(はさみ)かな   


 「無人島の天子とならば涼しかろ」熊本の俳人、井上藤太郎宛の手紙に記されたもの。手紙には「近頃俳句などやりたる事なく候間頗るマズキものばかりに候」とある(坪内稔典(1990)p.130)。確かにこの年の俳句は駄作が多い。厭世観のみで、諧謔がない。 
 「白菊にしばし逡巡(ため)らふ鋏(はさみ)かな 」これもシェイクスピアの作品との関係があるらしいが、ひねりがなく、諧謔性もなく、漱石的でない俳句である。

 1903年1月23日、漱石はイギリス留学を終えて神戸に着いた。4月、第一高等学校嘱託、東京帝国大学文科大学講師に就任。7月~9月、鏡子と別居。11月、三女栄子誕生。
 1904年12月、『吾輩は猫である』第一編を書く。この年の2月、日露戦争勃発。9月、与謝野晶子「君死に給ふこと勿れ」発表。この発表は、文明国は政府批判も許すということを欧米に示すために、あえて日本政府が黙認した結果であったが、反戦運動は高まりをみせ、日清戦争の時とは様相を異にし、国権、民権の分裂が日清戦争後には見られる。内村鑑三は1902年から、戦争絶対反対論になっている。国家を超える思想がないと、戦争はなくならない。ロシア人もウクライナ人も戦争反対なのに、プーチンの判断で戦争が起こっている。ロシアの歴史的に強大な指導者を求める民衆の政治文化も根底にあるであろうが、戦争絶対否定論が主流になるような世界はいつ到来するのであろうか。民衆の怒り、指導者の判断に民族紛争、武器商人がかかわってきて、戦争は起こるが、今回のロシアのウクライナ侵攻は、プーチンに分がいいものではない。ウクライナが火炎瓶製造法をSNSでアップするようなことをしていると、火に油を注ぎ、ロシアの侵攻はさらに続くことになる。ウクライナ政府は早期休戦に進むべきではないか。苦しむのは民衆である。

 

 

 アメリカとドイツがウクライナに武器供与を始めた。泥沼に入るぞ!戦争をやめろ!


                          

          2022.2.27   

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