藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

1912年(明治45・大正元)―1914年(大正3)の漱石の俳句

           ロシアで反戦デモ


1912年(明治45・大正元)―1914年(大正3)の漱石の俳句


 1912年   秋風や屠られに行く牛の尻
 1914年   秋風の聞こえぬ土に埋めてやりぬ


 1912年 「秋風や屠られに行く牛の尻」 9月26日に痔の手術をし、その入院の際を回想した句(坪内稔典(1990)p.182)。自分を牛に見立て、更に痔の主術をしたから「屠られ」とし、「尻」とする。諧謔の精神である。自分を自分で突き放して、戯画化する。これは本来の俳諧の精神である。芭蕉がそれを更に深めて芸術にしたというのが学問上の通説である。私は、庶民が気晴らしに「一句ひねるか」と言って、ダジャレや諧謔で自らをあざ笑うという所に江戸の庶民の精神の健全性があると思う。西洋流の文学観念が輸入され、坪内逍遥が『小説神髄』を書いて、リアリスティック・ノベルを説き、社会、個人心理、欲望をリアルに描くものが小説だと、西洋文学概念を吹聴しだしてから、小説に笑いが亡くなったと思う。『吾輩はは猫である』はそうしたことへの反逆の、諧謔の精神、日本的ユーモア、江戸的戯作文学の逆襲だと思う。
 1914年 「秋風の聞こえぬ土に埋めてやりぬ」 近所で死んでいた飼い犬の愛犬、ヘクト―を引き取り、墓標に「わが犬のため」と前書して、したためた句(『硝子戸の中』)(坪内稔典(1990)p.191)。猫には名前をつけなかった漱石。犬の方が好きだったのかどうかはわからない。
 1912年 1月から4月 『彼岸過迄』連載。大正元年9月 痔の手術。1月 中華民国成立。孫文、臨時大総統に就任。4月 石川啄木死。 7月 明治天皇没。
 1913年 3月 胃潰瘍再発。4月 『行人』休載。胃潰瘍と神経衰弱のため。9月『行人』再開。11月 完結。3月 『郷土研究』創刊。8月 孫文、日本へ亡命。
 1914年 4月から8月 『こころ』連載。6月2日 北海道から転籍。11月25日 学習院で講演「私の個人主義」。7月 第一次世界大戦勃発。12月 東京駅開業。


2022.3.1 火 BSフジ プライムニュース 午後8時~9時55分
 ウクライナ駐日大使、出演。ウクライナの立場を説明。英語での大使の説明と同時通訳。ウクライナは、グズネツ等での集団虐殺を認めない。当然ながら。ソビエト時代、ロシア語を強要され、ウクライナ語は学校で話せなかった。今は、ウクライナ語で学校の授業を行っている。ロシア人でウクライナに住んでいる者もいる。これは地続きではよくあること。日本にだって、定住外国人はいる。ただ、国籍取得を厳しくすると、いろいろと問題が出てくる。「文化」が違うのである。「国家」の「よそ者」への対応の仕方もピンからキリまで色々である。ソ連崩壊でウクライナは「国家」になった。しかし、ロシアの影響は強く、ロシアは兄貴風を吹かして、「おれをなめてんのか。」という感じである。クリミア領有、認めろ、中立しろ、NATO入るな、兄貴風を吹かしている。ウクライナ、EUに参加申請して、ロシア、また頭にくる。いや、ロシアというよりプーチンが認めないのだ。プーチン、頭おかしい説がひろゆきから出ている。TikTok (ティックトック)で。大統領制は、悪く出ると、大統領の決定に引きずられる。今回がそのよい例。ウクライナ人もロシア人も戦争を望んでないんだよ。しかし、時間とともにウクライナ人も家族殺されたりビル壊されたりして、怒髪天を突き、報復の戦いを始めようとしている。志願兵、続々。


     戦争、やめて!


                                             2022.3.2  水

×

非ログインユーザーとして返信する