藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

漱石の俳句  五つの作句時期と各期の例句  まとめ

     


漱石の俳句  五つの作句時期と各期の例句  まとめ
 漱石の俳句を見てきたが、最後に五つの作句時期と各期の例句を提示して、まとめとしたい。五つの作句時期の分類は小室善弘(昭和58)による。


 一、書簡俳諧期(明治22年5月~明治28年   
         3月) 
   帰ろふと泣かずに笑へ時鳥(ほととぎ
   す)  子規への友情、思いやりの句


 二、句稿俳諧期(明治28年4月~明治33年
   8月) 松山教師時代~文部省派遣留
   学生となる前まで
   見上ぐれば城屹として秋の空


 三、移行俳諧期(明治33年9月~明治43年
   7月) 英国留学時期~
   この下に稲妻起る宵あらん     
       飼っていた猫の死を悼む

 四、病余俳句期(明治43年8月~明治44年
         2月)
   あるほどの菊抛げ入れよ棺の中    才ある美貌の人の死を悼む。潔さ。鎮魂歌。


 五、業余俳句期(明治44年3月~大正5年1
         2月)
   秋風や屠られに行く牛の尻      

    痔の手術を受ける自分への諧謔。
   秋風の聞えぬ土に埋めてやりぬ    
    飼い犬ヘクト―の死、ヘクト―への
     哀惜。
  
 小室善弘(昭和58)は、一~三を、俳諧期としている。諧謔中心とみるのであろう。

 四、五は俳句期とする。私は、漱石の俳句は、諧謔と奇抜な語の結び付けに本領が発揮されていると思う。そのとき、その時の心情が活写されるのが漱石俳句であり、それを見て、内省的に面白がっていたのが漱石で、そうすることによって、精神の安定を得ていたのであろう。漱石の俳句についてのエピソードがある。漱石がある俳句集に

  両方にひげがあるなり猫の恋


 とあるのを見て、笑い転げていたという。鏡子は、猫にひげがあるのは当たり前でしょうと言って、相手にせず、漱石は憮然としたという(既述)。やはり、漱石俳句の基本は諧謔であると思う。歴史的には落語や江戸戯作文学の継承である。坪内逍遥『小説神髄』の説くリアリスティック・ノベル、個人心理、社会のリアルな描写は『明暗』を待たねばならない。漱石は、教養と豊穣の人であるから、単純には決めつけられない。いろいろなめんがある。教養がふかいのである。漢文学、江戸文学、英文学。大教養人である。


 それにしても、ウクライナはどうなるのだろうか。基本は、プーチンの懐疑心に端を発する侵攻であるが、ゼレンスキー大統領もなかなかの玉である。東部二地域の親ソ地域など無視してきたのである。ロシアの意向を無視して、西側頼み一辺倒では、ロシアはやるわなあ。ロシアの歴史をみたら、わかる。おそロシア! なんだ。それを知って付き合わないと。戦争はしない方がいいに決まっているが、善悪論で決めつけられるものでもない。だれが得をするのかということも考えなければならない。
 もちろん、戦争はもうやめて!     


       という気持ちである。
                       
            2022.3.4  金

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