サピア=ウォーフ仮説から否定疑問文のトンデモ論を考える
サピア=ウォーフ仮説から否定疑問文のトンデモ論を考える
誤解してはいけないのは、日本語表現
が話者中心性を特徴とすると言っても、
日本人が 自己中心的であるということ
ではないということである。バカはそこ
ら辺を混同して、単なる言語表現の習慣
的事実を「〇〇語の表現から見た〇〇人
の思考様式について」などというトンデ
モ論を書いている。サピア・ウォーフ仮
説の乱用であろう。
昨日、上記のように書いたが、サピアとウォーフでは、強い仮説・・・言語が思考を全面的に決定づけるという仮説(=ウォーフ )弱い仮説・・・言語が思考に何らかの影響を与えるという仮説(=サピア)という差があり、サピア=ウォーフ仮説とは、異なる言語(母語以外の言葉)を使うと、認識する世界観や概念のあり方が変化するという仮説(=言語相対論(Linguistic relativity theory))である。そして、サピア=ウォーフ仮説はアメリカ人類学の父であるフランツ・ボアズによる文化相対主義の流れにある。「サピア=ウォーフ仮説」という名称は、言語人類学者のエドワード・サピア(Edward Sapir)と、サピアの学徒であったベンジャミン・リー・ウォーフ(Benjamin Lee Whorf)の業績に併せて作られた用語である。https://liberal-arts-guide.com/sapir-whorf-hypothesis/ 閲覧。
フランツ・ボアズの弟子がルース・ベネディクトで、ベネディクトは、サピアと親しい友人であり、『菊と刀』でも、日本語の「すみません」は「受けた恩への返済がなされていないこと=返済が済んでいないことを表す」言葉だと述べていて(眉唾もの)、サピア=ウォーフ仮説の影響がみられる。
「バカはそこら辺を混同して、単なる言語表現の習慣的事実を「〇〇語の表現から見た〇〇人の思考様式について」などというトンデモ論を書いている。」と言ったのは、言葉と思考・思想の関係を恣意的に結びつけること(=強い仮設)、言語による思考決定論を指している。その影響は英語の否定疑問文とその日本語訳の解釈に顕著に表れている。英語で❝Don't you go there?❞と聞かれて、❝Yes,I do.❞❝No,I don't.❞と答えるが、その日本語訳は、それぞれ「いいえ、行きます。」「はい、行きません。」と「いいえ」と「はい」が英語と逆になる。そのことは、日本語が状況依存性、場面依存性の強い言語であり、英語はそうではなく論理中心で、優れた言語であることを表しているなどという解説が、まことしやかに今から40年前にはなされていたのである。学研から出た『 Japanese for Today 今日の日本語』という日本語の教科書だったと思う。
日本人はすぐ「外国」を序列で見てしまう。アメリカ一番、欧州二番、三時のおやつは文明堂。おっと、古いか。中国なんかには絶対負けない、中国は日本より劣っているからというのは、日清戦争以来の日本の中国観の反映である。そうした小中華主義は韓国にもあって、韓国では日本語は韓国語からできたものだという説が一般人の間でまことしやかに信じられているという。いわゆる「侮日」の一つですね。そういうことも知っておく必要がある。韓国は日本は「野蛮」な「武威」の国で改めないから、韓国が「文」の優位を教えてやらないといけないと思っている。すべての人がそうではないが、そう思うエトスがあるのは、日本人も知っておいた方がいい。私もそのことは「日本の東アジア観」を勉強して初めて知った。
ウクライナはミンスク合意を真摯に履行せず、東部二州のロシア人をネオナチ過激派とともに虐殺したから侵攻したというのがロシア・プーチンの大義名分である。中立化(NATOに入るな)、非軍事化(ロシアに刃向かうな)と絶対譲らない。強情で融通の利かないのがロシアだ。アメリカ、欧州が武器援助をじわじわとしている。おそロシア! 誰か、両方を協調に導く感化力のある指導者よ、出てきて! 戦争を止めて!
2022.3.11 金