藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

思考と言語

         ヴィゴツキー


思考と言語
 ピアジェが頭の中の認知発達に興味を持っていたのに対し、ヴィゴツキーは社会的相互作用を通した個人の発達に着目し、ヴィゴツキーの立場はよく社会構成主義(social constructivism)と言われる。以下、閲覧。

 ヴィゴツキー『思考と言語』は思考と言語を相互依存的であるとし、「外言」とともに「内言」が重要であるとする。「内言」とは「内なる言語」=自分の内で話す言語 のことて゛ある。「内言」が言語能力を発達させるとする。


 ヴィゴツキーの解釈者として、バフーチンがおり、バフーチンは言語教育においては、思考の発達を助ける環境を教師は提供しなければならず、そのことによって、思考の発達とともに言語学習は促進されるとする。この考えを日本語教育に応用している者がいるが、書いている論文は、熟していない生硬な漢語で書かれていて、カタカナ翻訳英語が多い。私は日本語の文章が明晰でないものは信用しない。英語関係の研究者は、日本語もその他の言語も勉強していない、言語についての教養のない者が多い。
 こうした日本語教育の研究者は、従来のカリキュラム先行型のパターン・プラクティスやコミュニカティブ・ティーチング、タスク(学習ドリルのようなもの)の併用を否定し、学習者の言語能力の向上のための環境づくりを重視するが、現場の日本語教師は、(高校程度の英語は読めるが)外国語も読めず、口真似を学習者にさせるティーチング・マシーンと化しているのが、この40年の日本語教育の実態である。水谷修がげんきょうである。もっとも失笑を買うのが、日本語を教えると言いながら、英語教育、応用言語学という学問もどきの英語教育分野のマネ屋が幅を利かせていることである。
 日本語教師になろうとする人たちよ。まず、学習者の言語を一つでも読めるようにすることである。学習者をテイム(飼いならす)しドメスティケーション(家畜化)するような言語帝国主義者の先兵になってはいけない。


 ネオコンがアメリカの背後にいて、今回のウクライナへのロシアの侵攻が起こっているようだ。アメリカ民主党は、局地戦で儲けるネオコンと親和性があり、共和党時代より、世界の局地戦は民主党政権の時の方が多い。一番、金もうけになるのは戦争。アメリカは地で行っているのである。馬淵睦夫氏はこうしたことを言っているようだ。


京都も春めいてきて、空気が今までと違う朝        


 厚着ではかゆみが走り春近し


            2022.3.13 

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