藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

ことばとは何もの?


ことばとは何もの?
 ことばとは何ものだろうか。人間は個体である。個体の故に、自分が一番かわいい。しかし、動物でも植物でも子を産み、種子を落とし、献身的に子育てをし、子孫繁栄のための努力をする。それも事実である。人間も生物であるから、本然的に自己のために何かしようという気持ち、志向と他のために何かしようという気持ち、志向の二つが存在する。
 自分のためと他のためが乖離して、自分の存在の脅威となるものが頻繁に仕掛けてきたら、仕掛けてくると考えたら、生命は自己防衛に打って出る。戦争である。それが正しくない場合もあるから、内村鑑三のような戦争絶対否定論によってしか戦争は根絶できないであろう。しかし、内村も戦争に行くべきか行かざるべきか内村に問うた青年に「行きなさい。あなたが戦争に行かなければ、誰かほかの人が行かなければならない。」と答えている。戦争が始まってからでは遅いのである。ネオナチ派を支持するアメリカのネオコンが今回の元凶だと言う説があるが、アメリカがウクライナのために一兆五千億円の武器供与をすると聞くと、死の商人、軍事産業のほくそ笑む顔がまぶたに浮かぶ。拝金主義の究極は、戦争。一般人の命を代償に金を儲けまくる死の商人。思想のために、金のために人を殺してもいいのか。ウクライナで爆撃で幼児を殺された若い母親の嘆き悲しむ顔に心をかきむしられる。
 ことばは戦争に対して無力だが、戦争を起こさせないように、常日頃から新しい戦争反対の情報を集め、流布することに一役買うことはできるはずだ。言葉は過去の事実を記憶にとどめることができる。
 80年前の日本人は、東条英機の「確かにアメリカは大国です。勝ち目は薄い。しかし、日本は運の強い国です。日清・日露と勝ってきました。皆さん、やろうじゃありませんか!」という言葉にそそのかされて、戦争に突入した。天皇崇拝の思想、軍部の問答無用の強圧的エトスもその基盤にあった。そして、日本人は、教育の成果で「日本は神の国で、日本人は世界で一番、幸せな国民だ。」と思っていた。そして、→「だから、他の国の国民は日本人を尊敬しろ。」と思っていた者も多い。この戦争はおかしいと言う者は、「非国民」とののしれ、「となりぐみ」で相互監視して、連帯責任を負わされた。「八紘一宇」の実態は、忠の国は序列の国ということ。序列は近隣諸国にも適用された。
 ことばは、自らの認識を深め、悪しき戦争を阻止するための宣伝のツールとなるもの。
認識を深めるため広く書を読み、世界の行く末を考え、平和を目指したい。


 今日もウクライナで爆撃が行われている。
 戦争、やめて!      

  感化力のある指導者、出てきて!

                       

            2022.3.14 月

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