空襲被害と受忍論 直野章子 2022.3.17 木 京都新聞 夕刊 現代のことば
空襲被害と受忍論 直野章子 2022.3.17 木 京都新聞 夕刊 現代のことば
1945年3月10日、米軍機による東京大空襲は東京を殲滅することを目的とし、周囲を円を描くように爆撃し、逃げ場をなくしてから、中を無差別爆撃するという凄惨な爆撃であったが、知る人は多い。一方、空襲被害者に言い渡されてきた「受忍論」についてはどうだろうかと、直野氏は疑問を呈する。
「受忍論」とは、戦争のような非常事態においては、生命、身体、財産などの被害は、すべての国民が等しく受忍(我慢)しなければならない犠牲であり、国はそれについて被害を補償する法的義務を負わない、とするものである。
1968年の最高裁判決において、在外財産の損失に対する国の補償義務を否定する論理として打ち出された「受任論」は、在外財産の損失だけを補償するのは公平さに欠けるという国の主張を認める判決であったが、最高裁は、生命、身体、財産などの被害を並列し、「多かれ少なかれ、国民のひとしく堪え忍ばなければならないやむを得ない犠牲」だと拡大解釈して論じた。
この最高裁判決は、後に、空襲被害者や元シベリア抑留者が引き起こした裁判の判決で引用され、生命、身体の被害者であっても、戦争被害は受忍しなければならないのだから、補償はしないという論理へ転換することになった。
しかし、国民が受けた被害は多様であり、命を失った人と財産を失った人を同列視することはできないと、直野氏は言う。
1952年に講和条約が発効してから、旧軍人軍属とその遺族は国家補償の対象となってきたが(総額約60兆円)、民間人の被害者には一切の保証がない。
超党派の議員連が一昨年、まとめた空襲被害者救済法案には、身体障害や精神疾患を負った被害者には一律50万円の支給金が盛り込まれたが、遺族や戦争孤児は対象外である。法案提出に至っていないのは、自民党内に慎重論があるからだと、直野氏は言う。
77年もの間、戦争の傷跡を背負わされてきた被害者に、この国はまだ受忍を強い続けるのだろうか。今国会の動きを注視したいという文で直野氏は、コラムを結んでいる。(直野章子氏は、京大人文科学研究所准教授。専門は社会学。)
国は戦争をする。戦争の爪痕はいつまでも残る。戦争には軍人だけでなく、民間人も巻き込まれ、1945年8月の敗戦時、旧満州では軍人はいち早く逃走し、残された日本人民間人孤児は一部、中国残留孤児となり、悲劇は後々まで爪痕を残した。私は戦争をする権利を持つ国家というものをあまり信用できない。過去の歴史を見ると、最後は民間人が犠牲になる。
今、核装備をしろとか、敵基地攻撃能力を持てとかいう論議が起こっているが、また犠牲が増えるだけだ。戦争より外交の欠如を憂えるべきだ。戦争に行くのは、結局は私たち国民なんですよ。為政者は行かない。自分が行くことを考えたら、戦争絶対反対論しかない。高市、聞いてるか。桜井よし子、あんたが老体に鞭打って、まず戦争に行け。無知な人民をあおるな。戦争あおりコメント反対!
教養と他者の苦しみへの理解、想像力の欠如、敵への憎しみ、そして拝金主義軍事産業が戦争を志向する。ウクライナの人間も抗戦して、ロシア人を殺したくはないだろう。そうなる前に、外交努力をしなかったゼレンスキー大統領にも責任はあるのではないか。もちろん、恐(おそ)ロシアのプーチンがいけないのはもちろんだが。
2022.3.18 金