藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

ロシア文学・ロシア・ロシア人について

 

   ドストエフスキー


ロシア文学・ロシア・ロシア人について
 今から50年ほど前に、大学に入学した私の時代は、まだ、共産主義が健在で、共産主義、共産党の悪口を言えない雰囲気があった。1973年(昭和48)ごろのことだ。家は京都で、大阪の上本町にある外大に通った。大学の生協は民生の巣と言われて、日本共産党の巣窟のような感じがあった。笹川良一が共産党嫌いで、外大が箕面(みの)に移転するとき、自己所有の箕面の土地を売らず、外大は更に奥地に移転せざるを得なかったなどといううわさ話を後になって聞いた。
 閑話休題(それはさておき)、大学の専攻は中国語だったが、教養涵養志向のある私は、当時、広く本を読むようにしていた。ロシア関係では、ドストエフスキーの『白痴』や『カラマーゾフの兄弟』も読んだ。『白痴』で主人公が処刑されるとき、「自分は死んだら、この太陽の光になるんだ。」と直感した次の刹那、処刑が中止されるという部分が印象的で今も覚えている。『カラマーゾフの兄弟』では、やがて殺される父親が「地堕落にしている方が楽なんじゃよ」と述べる言葉に深いものを感じた。日本とは違う、ロシア的な感覚をなんとなく感じた。トルストイについては、いい老人になってから、若い娘と関係して、子供を産ませたことにいい印象が持てず、『戦争と平和』は身を入れて読まず、途中で放り出した。しかし、最初の書き出しは今も覚えている。「幸福な家庭というものはどこか似かよっていて、不幸な家庭というものは、それぞれ異なり、別個の苦しみを持っているものである。」ソルジェニーッィンの『収容所列島』も読んだ。重厚で長大な小説を書く作家を多数、産んだロシアはやはり偉大な国である。そう思った。
 ロシアは昔から政治が過酷である。ツアー=皇帝は絶対専制君主で権力を自らに集中させるが、ニコライ二世とその娘の美少女四姉妹はロシア革命で銃殺されるという悲劇に見舞われた。1891年の大津事件では、ニコライ皇太子は寛大な処置をと言った。
 日露戦争で樺太以南を手に入れた時、時の山形有朋は「将来、ロシアは取り返しに来るだろう。」と憂慮の念を表明した。1945年にそれは現実のものとなっした。
 外大のロシア語科の学生が、「ロシア人には非常に陰湿、陰険なところと、あっけらかんとした、明るい天使のようなところの二面性がある。」と言っていたのを覚えている。
 日本語教育では、ノボルシビスクからきた女性を教えたことがある。ホンダの労働環境の調査をして、博士号をとろうとしたが、うまくいかず、日ソ貿易の会社で働いているようだ。
 私は、ロシアについて悪いイメージは持っていない。ロシア文学の本を読んだり、ロシア人に日本語を教えたことがあり、身近なものとの感覚があるからだろう。今回のロシアのウクライナ侵攻もプーチンの独裁専制というロシア伝統の独裁権力体制のなせる業で、ロシア自体を否定するつもりはない。
  国と人は分けましょう。国家の時代ではありません。
  皆さんはどう思いますか。
                                 
                                 

           2022.3.20  

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