藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

日本語の婉曲表現について

  大木 こだま ひびき


日本語の婉曲表現について
 日本語は婉曲表現が多い。語レベル、句レベル、文・文章レベルに分けて述べてみたい。
 まず、語レベル。日本語は漢語と和語、カタカナ語に分けられる。漢語と和語の使い分けも婉曲表現と関係がある。漢語で言うと概念的、公的な感じがあるが、和語で言うと、感覚的、私的な感じとなる。漢語的と和語的は、例えば「自由」は「好きにすること」、「民主主義」は「数の多さで決めること」と言い換えられる。英語で、アングロサクソン系の get とラテン語系の acquire , obtainの違いがあるのと似ている。

 句レベル。肉体部分の慣用句は、婉曲表現が多い。例えば、「目に付く」「口にする」「口にしない」「顔を出す」「耳にする」など。動作の間接表現も婉曲表現が多い。例えば、「屠蘇を傾ける」「畳に手をつく」「机に向かう」「ペンをとる」など。
 文・文章レベル。「20代で結婚したが、2、3年でそれに破れると、~」。「それもそうだと思った。」「被害がなくてなによりだった。」
 句レベルの慣用句では、実質的意味のあるものとないものがある。「骨を折る」は実質的意味のある場合とない場合がある。「手を焼く」は実質的意味はなく、「苦労する」という意味である。「猫をかぶる」も実質的意味はない。「おとなしいふりをする」という意味である。吉本の漫才師「こだま ひびき」は「そんなやつおらへんやろう」「往生しまっせえ」で一世を風靡したが、実質的意味のない場合の慣用句を逆手にとってギャグにしたネタで売れた。例えば、次のようなものである。


「そんなこと言うたら、へそが茶あ、沸かすなあ」
「そんな奴、おらへんやろう~?へそが茶、沸かしたら、往生しまっせえ~」


 漫才師は天才である。笑われているように見せて、実は笑わせている。テレビに出て売れているタレントはみんなそうである。タモリ、所ジョージ、さんま。たけし。皆んなずる賢いから、最近、昔、死ぬほど嫌っていたNHKに平気で出ている。ギャラのためなら、何でもする連中である。根っからの拝金主義者である。

                               

        2022.3.22     火

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