藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

柄谷行人「意識と自然―漱石試論」 ノート

        

柄谷行人「意識と自然―漱石試論」 ノート
 柄谷行人「意識と自然―漱石試論」は1969年『群像』新人賞を受賞した、同氏の10代~20代の漱石論である。(以下の頁は柄谷行人(2017)『新版 漱石論集成』岩波現代文庫 の頁。)
 ここにいう「自然」とは=「存在」のことで、19世紀の「自然」は思想原理としての力を失い、自然科学や自然主義のようなみすぼらしい地位に転落してしまった(p.6)。漱石が「自然」という概念を多義的に用いたのは、18世紀の思想、文学に通じていただけでなく、19世紀の思想原理に対して根源的に対決するために、プレグナントな「自然」概念に立ち向かう必要があったからだ(p.6)。
 漱石は人間と人間の関係を存在論的な側面において感受していた。互いが同じ空間を占めようとして占めることができないというような、生々しい肉感として感受していた(p.8)。
  自然=当然(道理、道義と一致した自然。注:「富は徳の結果」というような道理、道義と一致した経済、自然。)であるような世界を経験した漱石は、その崩壊が何をもたらすのかを見てしまわざるを得なかったのである(p.12)。 
    われわれにとって存在=自然と意識の乖離はどうすることもできないのである(p.14)。
  漱石の小説は、倫理的な位相と存在論的な位相の二重構造を持っている。倫理的な位相とは「他者(対象)としての私」(=外側から見た私)であり、存在論的な位相とは、「対象化しえない私」(=内側から見た私)のことである(pp.27-30)。
   人間がもし「他者としての私」に過ぎないなら、単純明快で、「自然主義」とはそういう認識に他ならない(pp.29-30)。
 『明暗』は『道草』を通過してのみ可能な世界である(p.56)。第一次戦後派文学は『道草』を通過しなかった自己内部で『道草』的相対化を経なかった文学なのである(p.56)。
 『明暗』の会話が魅力的なのは、それらが交錯しあって思いがけない各人の本質を露呈するからである(p.57)。 
 「振り返ると過去がまるで夢のように見え、一生は夢よりも不確実なものに思われるが、同時に、現在の我が天地を蔽い尽くして𠑊存しているという事実に驚く」(内容要約)(漱石「点頭録」pp.65-66)。
    『道草』を可能にしたのは、いいかえれ知識人漱石の徹底的な相対化を可能にしたのは、「自然」の非情な眼所有しえたことによってである。つまり、彼は彼自身を「何のために生きているのか」わからぬような他者たちと対等な存在と考えるほかなくなり、「自然」の非情な平等性を見出したとき、彼は初めて周囲の他者を対等な存在として認めたのである(p.47)。
 『道草』は自然主義的な表層と「夢十夜」につながる深層との二重の構造から成り立っている(p.40)。『道草』は二重構造を持っているが、これまでの作品のようなあからさまな分裂を持たない。そして、『明暗』はあらゆる意味で、『道草』という作品を通過することなくしてありえなかったということができるのである(p.53)。


  〔ノート〕
 「自然」がキーワード。「自然」とは縄張り争いを行う自己と他者の「存在」と同義てある。漱石は徹底した相対化によって、「自然」の非情な平等性を見出し、知識人と非知識人の対等性を感得し、つまり『道草』によって自己と他者の平等性を感得して、『明暗』を描いた。そう柄谷行人氏は言っているようである。
 「則天去私」も「天に則り私を去る」というような「儒教的」なものではなく、自己と他者の平等性に基づく、自己と他者の分裂を超えた概念であろう。『明暗』はその実践である。それゆえ『明暗』の文章、人物描写はリアルで今でも人を引き込む力を持っている。漱石は、「神」の視座で『明暗』を書いていない。倫理的な位相=外側から見た私。存在論的な位相=内側から見た私。19世紀の自然=外側から見た、対象化できる私。「自然」の非情な平等性とは何か?


 土曜日の京都は曇り空。午前11時から荒れ模様の天気になるとのことだったが、弱い雨が降った。一昨日、京都でサクラ開花宣言。二条城の桜で判断。平年より二日早い開花とのこと。二条城も観光客が戻りつつある。週末はそれを横目に三条西友へ買い物に行く。今日は雨なので行かなかった。


                                                                                              2022.3.26    土

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