藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

「関口宏のもう一度! 近現代史」終了

「関口宏のもう一度!  近現代史」終了
 「関口宏のもう一度! 近現代史」が昨日、2022年3月26日 土曜、午後12時から12時55分 で二年間の放送を終えて、終了した。次回からは古代史 最前線 を放送するそうだ。
 この番組の後、関西では「吉本新喜劇」を毎日テレビ4ch で放送するので、その前に時々見ていたが、昨日、見ると、終了のあいさつをしていた。この番組を見ての印象とそれから思うことを少し述べてみたい。まず、関口宏というのは、本当に教養がなく、屁のような男で、見た目だけというのがよく分かった。碌なコメントができない。「~なんでしょうか」「よく考えたいと思います」とかばかり。「当たり障りのない言葉 敵も作らず 味方も作らず ほんににあんたは屁のような」。関口さんの嫁さんは西田佐知子で、「アカシアの雨に打たれて」や松竹梅のCMなどを歌った昭和の歌姫で、退廃の中に美しさがある一流歌手である。「アカシアの雨に打たれて このまま死んでしまいたい 朝の明るい日の下で 冷たくなった私を見つめて あの人は 涙を流してくれるでしょうか」♬ 。昭和エレジーである。哀歌である。

 閑話休題、保坂正康氏(写真右)は、昭和史の生き証人をインタビューし続けた在野のジャーナリストで、この人こそジャーナリストの名にふさわしい人である。同志社大を出た後、編集者として、フリーで仕事をしながら、昭和の生き証人のインタビューをコツコツと続けて、本にしてきた。半藤一利氏とも一緒に本をたくさん出している。生活に困ったときは編集者仲間が編集の仕事を回してくれたと言っていた。この人の本で一番、印象的だったのは、陸軍士官学校での大将をインタビューしたとき、その大将が「息子を戦死させたくなかったら、陸軍士官学校に入れたらいい」と平然と言っていたことをを伝えている個所であった。戦争は軍人エリートは前線に行かず、前線に行き戦死するのは、一般平民であると保坂氏は言いたかったのだろう。阿呆が日本の再軍備を喧伝しているが、歴史の教養がないのである。そして自分が戦争に行くことは考えていないのである。愚かである。

  保坂氏は最後にこう述べていた。「この77年、日本は戦争をしてこなかった。これは国民の財産である。過去の歴史を、イデオロギーでなく、何を77年前の戦争で失い、それを取り戻す必要があるのか、歴史の中で考えるべきである。」深い言葉である。
 日本は77年前の戦争で何をなくしたか。日本人の誇りや精神をなくしたのも事実だろう。しかし、それは天皇を頂点とする「忠」の階級社会のもとに成立したもので、日本は「神の国」で、絶対、戦争には負けない、と教育されていたのである。戦争中、インドネシアに行った森光子がインドネシア人から最敬礼やお辞儀をされて、いやな感じがしたと言っていた。つまりは、一等国民の日本人が二等、三等国民のアジア人を支配する社会を作ろうとしていたのである。満州に行って、豪勢な生活をしていた日本人も結構いたのである。コリアでもそうである。そうした歴史もちゃんと見ない限り、隣国やアジアとの平和な関係の世界が訪れることはないであろう。既成左翼の過去全否定でもなく、無教養の過去全肯定でもなく、両論併記の歴史像が必要である。一般人の視点からの歴史像の必要性は色川大吉氏等から提唱されている。色川大吉著『明治精神史』は名著である。日本が77年前の戦争でなくしたよきものは、絶対平和主義である。内村鑑三や石橋湛山にはそれがあった。


  3月27日 日曜日の京都は春めいた空気。今日は二条城の前を通って、三条西友に行こうか。それとも内村鑑三のいた家のある下立売通りを通って、京都チェーンスーパー店のフレスコに買い物に行くか。最近はとりムネミンチばかり食べている。健康のために。そして、安いから。本当に食品の値段が上がっている。戦争の影響がある。

                                 

         2022.3.27   

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