藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

漱石(1905-1906)『吾輩は猫である』 あらすじ一、二 + ノート

   


漱石(1905-1906)『吾輩は猫である』一、二 
         あらすじ + ノート
 一 あらすじ
「吾輩は猫である。名前はまだ無い。~」
 いくら放り出しても台所へあがってくる野良猫、「我輩」は主人の許可で家に置いてもらうこととなった。中学校教師の主人はわがままで、主人が猫を水彩画に描こうとして、猫が小用に立とうとすると、猫を馬鹿野郎呼ばわりする。車屋の猫と知り合い、車屋の猫がたくさんネズミを捕った自慢話を聞く我輩。
 水彩画が上手になる夢を主人が見た翌日、金縁メガネの美学者が来て、水彩画が上手になるために写生を勧めたのは、はったりだと言った。美学者ははったりを言うところが車屋の猫に似ている。車屋の猫はその後、魚屋の天秤棒でたたかれて、びっこになった。
 二 あらすじ
 「吾輩は新年来多少有名になったので、猫ながらちょっと鼻が高く感ぜられるのはありがたい。~」(連載は好評である❗)
 ある日、主人の門下生の寒月がやって来て、干シイタケの傘で前歯が欠けたとか、合奏会の話などをした後、主人と外に出かけた。主人の日記には寒月と主人が神田で晩飯を食べたことなどが書いてあった。
 猫は二弦琴のお師匠さんのところの三毛子を訪問し、雑煮をのどに詰まらせたことによって萎えた元気を回復し、車屋の黒に会う。
 家に帰ると、寒月の友人、越智東風が来ていて、主人と西洋料理の話をしていた。東風は朗読会をしていて、主人にも入会してほしいと依頼し、主人は承諾する。
 迷亭からの手紙が来て、今度はトチメンボウ(格好つけによるでっち上げ料理)を一緒に食べたいと書いてあった。4、5日して、迷亭がやって来て、寒月も来て、無駄話を延々とする。
 二弦琴のお師匠さんのところの三毛子が風邪で亡くなった。


  ノート
 暗黒暴露の自然主義が主流の時期に、子規の『ホトトギス』に掲載された『吾輩は猫である』は落語や江戸戯作文学の雰囲気が濃厚で、無駄話とも思える会話が延々と続く個所がある。文学の多様性の一つである、会話の面白さを伝えるためもあって、漱石はこうした作品を書いたのであろうか。諧謔的な会話が笑いを誘う。『吾輩は猫である』と言えば、その名は日本人で知らぬ者はないが、内容を知る者はほとんどいない。あらすじくらいは知っておいた方がいいと思い、十一までの内容のあらすじを一日、二つぐらいずつ書いていきたいと思います。こうご期待❗


  日曜日の早朝の京都は曇り空。肌寒いが春の気配、濃厚。蠢動、蠢く(うごめく)という言葉がぴったりの朝だ。桜満開。なまめかしい朝。四時巡る。昼から雨。降ったり止んだり。
                             
                                                                                           2022.4.3  

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