藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

漱石(1905-1906)『吾輩は猫である』 あらすじ三、四 + ノート

   

漱石(1905-1906)『吾輩は猫である』あらすじ   
      三、四 + ノート
  あらすじ 三
 「三毛猫は死ぬ。黒は相手にならず、いささか寂寞の感はあるが、幸い人間に知己ができたのでさほど退屈とも思わぬ。~」
 主人はジャム好きで、たくさんジャムをなめる。
 迷亭が来て、吾輩が相手をしていると、主人の奥さんが来た。迷亭と奥さんが雑談をしていると、主人が帰ってきた。さらに寒月が来て、絞首刑の罪について雑談する。2、3日して、また、迷亭が来て、越智東風の高輪事件(越智がドイツ人と話してもチンプンカンプンでドイツ語ができないことが露呈した事件)の話をする。「金田鼻子」が来て、寒月と金田の御嬢さんの見合いの話をする。寒月が博士号をとるなら、見込みがあると高飛車に鼻子が言う。
 吾輩は金田邸を偵察に行くことにした。帰ると、迷亭が来ていて、寒月さえいて、主人が寒月に「金田夫人が君のことを聞きに来たよ」と説明してやっていた。寒月は驚きもせず、平然としている。話は「鼻」に移り、雑談、放談はとりとめもなく続く。
 あらすじ 四 
 「例によって金田邸へ忍び込む。~」
 吾輩は例によって、金田邸に忍び込む。金田の娘を誰にやるかで話し合いが行われていた。水島寒月は、候補の一人であった。
 主人は細君の頭に禿があると言い、細君は髷を結うと、釣れて女は誰でもはげるんだという返答をしている。


    ノート
 金田夫人は鼻が大きいのであだ名は「鼻子」である。「鼻子」は娘の結婚相手は、「博士」でないと釣り合いが取れないなどと言っている。漱石は、文部省から「博士号」を送りつけてきた際に、「学者貴族」という一部特権階級の巣窟に大学がなることを危惧して、受け取りを辞退している。東大教授をやめて、朝日新聞に入社したのは40代半ばのことで、5年ほどして漱石は『明暗』執筆中に胃病で喀血して死去する。博士号という箔にこだわる「鼻子」を漱石は批判している。
 今や大学は文科系も博士号がないと、常勤になれないありさま。上の顔色を見て、上の眼鏡にかなう、気に入られる論文を書ける者のみが「博士号」を得られる。もともと理系がそうで、かつて、ある工学部の助手(かなり年配の人だった)は「工学部の教授は「天皇」です。」と言っていた。そんなだから、宇宙の平和利用と言いながら、通信、軍事衛星の研究をして、科研費をかせいで大学に貢献するのが今の大学の実態だ。文科省の予算が毎年、削られているから、そのしわ寄せが交付金縮小で国立大学に、私学助成金縮小で私立大学にいって予算が削られ、文科省は各地域に基幹大学を創り、その基幹大学に他の大学を支配させるという、合法的支配を行うことを10年以上前から再構想している。権力は管理、支配が好きである。対抗手段がない今、将来、大学は国家のための研究しかしない、空恐ろしい場所になってしまうことだろう。テレビマスコミはこういう事実を報道しない。彼ら自身が権力だから国家権力と親和性が高いのである。
                                 
            2022.4.4  月

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