藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

漱石(1905-1906)『吾輩は猫である』 あらすじ 十一 + ノート

    

漱石(1905-1906)『吾輩は猫である』  
    あらすじ 十一 + ノート
 あらすじ 十一
 「床の間の前に碁盤を中に据えて迷亭君と独仙君が対坐している。~」
 床の間の前で迷亭と独仙が碁を打っている。寒月と東風が相並んで、そのそばに主人が座っている。雑談が始まる。ヴァイオリン、渋柿の甘干し、寒月と金田令嬢の結婚の話、寒月はすでに結婚していること、探偵など話はとりとめがない。吾輩はビールを飲んで酔っ払い、大きな甕の水の中に落ちて、死んでしまう。
  ノート
 「吾輩は死ぬ。死んでこの太平を得る。泰平は死ななければ得られぬ。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。ありがたいありがたい。」で『吾輩は猫である』は終わる。漱石には死ぬことによって本当の自分が表れてくると考えるところがあり、木曜会でもそのようなことを述べている。漱石の読んだ『荘子』至楽編にもそうした考えがあり、自意識を自分としつつも、それ以上の存在の在り方を感じていたところがある。それが晩年の境地である「則天去私」ということになるのであろうが、「私」と「他」「天」を対立的にではなく、共同的に、批判を交えないで、関係性で見るという境地に達していたであろうことは最後の『明暗』を見ると看取できる。『明暗』では、会話をすることによって、その人間の本質が図らずも表れてくるという手法で漱石は「人間」を表現している。
 『吾輩は猫である』は、江戸戯作の会話のやり取りの伝統、落語、俳句的諧謔などが入り混じった小説である。1808年、明治40年ころには「だ」「である」「です」などの言い方である言文一致体も形ができてきていたが、この小説では過去の様々な形、江戸戯作の会話のやり取りの伝統、落語、俳句的諧謔などが生きており、それはとりもなおさず西洋近代文学観=産業革命、科学の発展による個人の恋愛などを中心とした個人の心理、社会的描写を文学と考える=とは異なった、日本の文学観、日本の文学を呈示しようとする漱石の営為が『吾輩は猫である』という小説であったということができよう。当時、一世風靡していた自然主義文学への反措定の意味も込められていた。自然主義は漱石を「余裕派」と呼び、軽く見ていた。
                                 
                                2022.4.8  金

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