藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

日本の自然主義について

  

自然主義について
  漱石が『吾輩は猫である』を書いた1905年、1906年は自然主義全盛期で、1906年から1909年は自然主義の時代であると文学史上はされている。元来、フランスの科学主義としての自然主義が日本に移入された時は、遺伝と宿命という科学を中心とした客観主義であったのが、いつの間にか内面暴露、私小説へと変貌していったのが日本の自然主義であった。漱石は島崎藤村の『夜明け前』などを高く評価しているから、一概に自然主義を嫌っていたわけでない。漱石の教養が文学観を形成し、自然主義以外の俳諧趣味、勧善懲悪なども視野に入れた小説観、文学観を持っていたのが漱石であった。
 日本の自然主義は社会と分離した形で自らの煩悶に焦点を当て、「個の探究」をもくろむものであった。そして、日本の自然主義は現実と真理を混同していった。
 中国の伝統文学では、勧善懲悪や載道主義が中心で、それは現代文学にも引き継がれたが、日本文学の場合は17世の井原西鶴の小説などでは客観的に人間の醜悪な面も描き、善悪については道徳的評価を下さない傾向がある。本居宣長も情感のままに作った詩が道に悖ることは当然あると言っている。そうした観念は坪内逍遥の『小説神髄』にも引き継がれ、文学とは醜悪なものも描くものであり、それに対する評価は文学者の任ではないとされた。こうした伝統的文学観が日本の自然主義に継承されたと王向遠は言う。 


(拙稿 「日中近代文学比較論 ―日中比較文化論の視点から―」 拙著(2011)所収)



                                

           2022.4.10  

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