藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

柄谷行人 漱石論 「それから」 内容 ✙ ノート

         

柄谷行人 漱石論 「それから」 内容 ✙ ノート
 柄谷行人(2017)pp.347-349
 内容
   「それから」は明治42年、朝日新聞に連載された。「それから」は「三四郎」のそれからである。
 「門」は「それから」のそれからで、これら三作品を三部作とみなすのが通説であるが、これらをある主題を追求した一連の物語と読むべきではない(p.343)。←なぜかと言うと、柄谷氏は漱石の小説の「進化」を信用しないから(藤田注)。
    漱石は基本的に中より上の層に属する読者たち(新興ブルジョア)に、彼らの倫理にも法律(姦通罪)にも背反する代助の行為(代助が愛していた女を親友に譲ったという設定)を正当化し、共感させる必要があった。←なぜかを述べていない(藤田注)。
 「それから」の背景には、「日露戦争後の商工業膨張」によって形成された新興ブルジョア社会があり、代助はその道程でいかがわしいことをやって財を成したに違いない父の自己欺瞞を批判しながらも、それに依存している遊民である(p.344)。


      ノート
 欺瞞を避けるために遊民で働かない代助はある意味、ニートの先駆けである。証券会社は三年で7割がやめるという。銀行は落ち目だが、一部の人間には人気がある。大企業はその人間がどれだけ稼ぐかで人をとる。年収500万の中間層は、生活するだけで精いっぱいだ。3パーセントの富裕層が、更に金を儲けて合法的に支配する社会だ。資本主義社会は金融社会にすでになっている。発展途上国、非正規雇用者を置き去りにしていないか。
 生きる価値など見いだせない若者に同情する。しかし、自分の人生は自分で生きていくしかない。みんなそうして生きている。私たちもそうして生きてきた。死にたい夜もある。しかし、日は明日も昇る。生きていこうではないか。文句を言うより感謝できることを今日の一日から一つでも見つけよう。いいことを思い出す癖をつけよう。そこから自分が変わっていける。少しでも本を読もう。20年したら、とてつもない差が生じてしまう。
 最近、中国に❝躺平❞(寝そべり)族が増えているという。最初から、競争社会に参加する権利を放棄して、疲れて寝そべっている若者たちである。中国で日系企業に働いていた留学生が、日系企業は給料が普通よりいいが、めちゃくちゃたくさん働かされると言っていた。彼はやめて、日本留学した。今、どうしているだろう。拝金主義社会は誰か天才が出て、克服法を提唱し、それがみんなに支持されたら、急速に変わっていくことだろう。しかし、まだその兆候は見えない。新しい動きはどこから出てくるか。刮目して待ちたい。それまで勉強だ。本を読もう。

                                

            2022.4.11 月

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