藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

北川扶生子(2020)『漱石文体見本帳』ボケる pp.124-148 『吾輩は猫である』について

      

      北川扶生子(2020)『漱石文体見本帳』ボケる pp.124-148 『吾輩は猫である』につ 
      い て
  内容要約
・『吾輩は猫である』(以下、『猫』と省略する。)は天下泰平の駄弁。どこにもたどり着かない言葉の洪水。これがこの小説の魅力である(p.125)。
・『猫』の駄弁は、誰もがボケ役、ツッコミ役の両方をこなす。ツッコミなしのボケっぱなしも、ツッコミもオチもないボケ話をくり出す人々も見ることができる(p.125)。
・『猫』の世界では学問・教養・学歴には何の意味もなく、自意識や見栄なども笑いの対象で、偉そうにしている人、偉そうに見えるもの、それを高みから引きずりおろし張り子の虎だと暴く笑いが『猫』の大きなパターンの一つである(pp.127-128)。
・『猫』の笑いの先達は江戸の滑稽本や落語である(p.128)。ネタのためのキャラがあるので「個性」や「性格」を最重要視する近代小説とは全く別のルールと世界観で動いている(p.130)。
・『猫』の天下泰平の駄弁は死を経由することで崇高なものに変質し、その崇高な男同士の絆と真理を伝える箴言もやがて消滅して、不安に震える男が一人取り残される。このように考えてくると、『猫』の果てしない駄弁は、みずからがそこから放逐された動かない世界、時間の流れのないサンクチュアリ(聖域)を再構築する営みだったのかもしれません(p.148)。


     ノート
 『猫』は新しい西洋文明、文学上の自然主義への抵抗であったと言えるかもしれない。しかし、漱石は漢文系(公)、和文系(私)両方を駆使して多様な文学の在り方を提示してみせたと言えよう。北川扶生子(2020)『漱石文体見本帳』勉誠出版刊 は、最新の漱石の文体論研究書である。
                             
                                                                                            2022.4.14   木

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