藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

言文一致体の成立 明治20年(1888)―明治40年(1908)

    言文一致体の成立 明治20年(1888)―明治40年(1908)
    北川扶生子(2020)序章 
 内容要約
 漢文調(p.18)は荘重で、公的、権威的文体である。漱石は『虞美人草』で男を手玉に取り利で利用しようとする藤尾を「正義」でさばいたが、その描写は漢文調によるものであった。樋口一葉は『たけくらべ』を和文調で書き、幸田露伴は漢文調で小説を書いた(p.27)。
 文体、ジャンルの枠を越境して書いたのが鴎外、漱石であった(p.28)。
 江戸時代の読本・人情本・滑稽本は近代小説の母体となったが、読本は勧善懲悪で『南総里見八犬伝』がその例で、人情本は男女関係を扱い、『春色梅児誉美』があり、滑稽本は笑いを内容とし『東海道中膝栗毛』が代表的作品である(p.31)。
  坪内逍遥は『小説神髄』で、個人の欲望や世態を表現するのがリアリスティックノベルであるとし推奨したが、滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』はリアルさのない荒唐無稽な話であるから駄目だと否定したが、その実、坪内逍遥は『南総里見八犬伝』の愛読者であった。


 ノート
 外国基準で考えようと無理をすると、いろんなところでゆがみが出てくる。「いきなりステーキ」のように、ステーキを400グラムも500グラムも食べるような食生活をして、他の従来のものも食べるなら、確実に体は悲鳴を上げて病気となるであろう。最近は一日一食、または二食を実行する者もいて、タモリなどもそうだという。


                        2022.4.17    

×

非ログインユーザーとして返信する