藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

漱石と美文

  水底の感


水の底、水の底。住まば水の底。深き契り、深く沈めて、永く住まん、君と我。
黒髮の、長き亂れ。藻屑もつれて、ゆるく漾ふ。夢ならぬ夢の命か。暗からぬ暗きあたり。
うれし水底。清き吾等に、譏り遠く憂透らず。有耶無耶の心ゆらぎて、愛の影ほの見ゆ。
――明治三十七年二月八日寺田寅彦宛の端書に――

      

   


  漱石と美文 
 北川(2020)「ただよう」pp.97-120
     内容要約
  美文は明治20年代の言文一致運動への反動として明治30年代末ごろまで流行した文章のスタイルのことである(p.97)。徳富蘆花(1900)『自然と人生』高山樗牛(1897)『わが袖の記』国木田独歩(1898)『武蔵野』などが美文の代表的な作品である。
 美文は新体詩と縁が深く(p.99)、漱石の新体詩に「水底の感」藤村操女子 があり、東大の授業で𠮟責した藤村操への鎮魂歌である。
 漱石は美が成就する一瞬への傾倒をくり返し作品で描いた。那美さん、藤尾、美禰子の美の一瞬を描いた。美文は漱石の小説の中で美と恋愛を表現する役割を担った(p.119)。


  ノート
 高山樗牛(1897)「わがそでの記では「相模なる国府津の里にやどりし一夜、われあやしき思ひにうたれて、小夜更(さよふ)くるまで泣きくらしき。」「われは夜もすがら松のこかげに泣きくらしき。そのなにゆゑなるを覚えざりき。頼りなき身のただひとり、するがなる三保の松原に泣きあかすよと思へば、われは涙のながるるを忍びあたはざりしなり。吾れ泣けばとて、誰か哀れと見るべきぞ。われ笑へばとて、誰か楽しと見るべきぞ。ひろき天地の閒(ママ)に、わが胸の琴は郡(むれ)をはなれし雁がねの、たぐひなき寂しき響すなり。われはただかく思ひて覚えず号哭しき。」孤独感、哀感、悲痛な涙が表現されている。こうした感傷主義のよって来たる処には近代的「個」の問題が存在している。近代的な個の確立とともに近代を批判し、近代的個人主義を超えることが課題となるのが日本近代の特有の問題である。樗牛の感傷主義はその動揺の反映とも考えられる。それを樗牛は美文で表現した。                               (拙著(2016)pp.108-109 参照)

                                 

            2022.4.20 水

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