北川扶生子(2020)『漱石文体見本帳』「歩く」:描写 pp.151-170
ロビンソンクルーソー
北川扶生子(2020)『漱石文体見本帳』「歩く」:描写 pp.151-170
内容要約
漱石はダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルーソー』を批判している。一貫した視点・解釈及びそれにもとづく修辞的工夫がないと言う(p.156)。起こったことをただ時系列で述べただけと言う(p.157)。 漱石は、登場人物の性格がしっかり設定されていて、その人物が作中で自由に動く結果として、小説内での事件が進行しているような小説がよいのだと述べている(p.158)。
漱石は「散文は下等で詩は高尚だ」と述べている(p.161)。理性、合理的思考、均質な時間の中での合理的に事態を打開する現実的な精神を持つロビンソン・クルーソーは近代的人間の典型とみられ、それは近代資本主義を支えるメンタリティーであり、必然的に帝国主義を支える個性であった(p.163)。それを漱石は「損得を標準」とし「大事な方向」に眼をつむると嫌った(p.164)。
直線的、均質的、不可逆的な時間の流れが途切れることなく永続するという仮定が資本主義経済の土台にあり、それは進歩史観、発展史観、世界は進化し発展するという考えとセットのものであった(p.165)。
漱石文学の根底にあるものは、時間の流れない世界で、詩や絵画というジャンルへのあこがれがあり(p.168)、新聞小説家として写実小説を書いたが、本質的に修辞家、詩人であった(p.178)。
ノート
漱石は「本質的に修辞家、詩人」というのは正鵠を射ている。漢文体と和文体を使い分け、小説の中に会話を上手に効果的に織り込んでいる。今、読んでも古臭さがない。資本主義の発展、帝国主義には懐疑的で、西洋の近代小説にも違和感を持っていたが、最後の『明暗』では個人心理を巧みに描く西洋近代的小説の要素を濃厚に持つ小説を書くに至っている。漱石は他人本位でない自己本位を確立したのであろう。
2022.4.21 木