藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

北川扶生子(2020)『漱石文体見本帳』「とどめをさす」: 隠喩pp.173-190

北川扶生子(2020)『漱石文体見本帳』「とどめをさす」: 隠喩 pp.173-190
 内容要約
 漱石の小説は知識人の男がよく出てくるが知識人の女は出てこない(p.174)。
 隠喩は認識である。隠喩が長くなると諷喩になる。諷喩を利用しているジャンルが箴言というスタイルである(p.176)。漱石の文章は箴言が多い(同)。『草枕』の冒頭がそうである。「智に逆らえば角が立つ。~」
 文章化、警句家として認知されていた漱石が大正時代後期以降に『こころ』で人間の心理を抉った作家というイメージになった(p.178)。
 箴言は漱石作品から減っていく。その理由として二つが挙げられる。①20世紀初めの日本では、リアリズム小説が文壇の主流で、それ以外の文学は攻撃された。夏目作品も『門』あたりから箴言が少なくなった。②箴言の担い手である男性知識人の知力が根底から疑われ、審問に付されるから(p.186)。『行人』で妻に対して力を持たない知識人の夫がそうである。かわって、女たちの言葉が作中で存在感を増していく(p.188)。『こころ』の奥さん、『門』のお米かそうである(p.188)。
     結果、女の視点から世界を描く『明暗』が登場する(p.190)。


    ノート
 75年以上前には、学校での「作文」は名文をたくさん読んで、その言い回しや目の付け所、修辞や発想の「型」を身につけることだった。それで、まず名文を読む、できれば覚える、暗誦するという方法がとられ(p.181)、作文書は作文の手本となる名文集を備えていて、漱石作品は名文集の常連だった(p.182)。現代では、作文は体験や見たことを、素直に書くことが推奨されがちである(p.181)。中国人留学生が日本語作文の授業で「思った通り、見たとおりに書いても作文になりません。」と言っていたのを思い出す。彼らにとって、作文とは、見たり思ったりしたことを名文の「型」に当てはめて、書くことなのであった。「自由に、好きなように書く」「作文」の授業が果たして優れたものなのだろうか。文章の修練といったものが必要だと思う。戦後は、数の多数が幅を利かす民主主義によって、毒されている。また、アメリカだ! といって、戦前がすべていいわけでもない。「大日本帝国」を完全美化している、無教養な痴れ者を何とかしないといけないが、彼らはちょっとでも批判されると、口角泡を飛ばして、顔を真っ赤にしてキチ〇イのように暴言を吐きまくってくる。教養がないというのは哀れですらある。ティックトックを見ているとそんな輩が結構いる。


                               

          2022.4.22   金

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