藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

日本人の共同意識


  日本人の共同意識  最上孝敬 柳田国男(昭和53)pp.117-144
    皇室中心の忠誠心などは急速に作られたもので、新たに広まった国民一般の共同意識のいわば基底に、これと趣を異にした共同意識の古くから培われきたったものが厳として存在している(pp.119-120)。
     かつての村落共同体には次のような共同意識があった。仕事面から見ていくと、道普請や堰の水あげなど、公共の仕事である。次に、田植えなどでの協同作業がある。その他、村落の共同性は、葬儀、結婚にもっとも顕著に表れる(pp.120-123)。これら経済的共同体とみるべきもののほかに、信仰の面においても、娯楽慰安の面においても村の人々は密接に結び合っていた(p.125)。
   村以外の者に対する排他性は信仰の面影をとどめている各種の行事、村の入口にしめ縄を張り渡し、そこへまじないの品々を下げたりする風習にもはっきりとうかがえる(p.127)。
   村の共同生活を乱すようなものに対する厳しい制裁に村八分がある(p.128)。
 村落の強固な共同性にもかかわらず、信仰関係からの人々の交通往来、互いの物資や労力の交換も行われ、信仰の中心たる神社仏閣の祭や縁日には、市と深い関係をもって結びついているものが少なくない(pp.138-139)。
   村落中心の共同性は、外に向かうものと内側で崩れる兆しもうかがわれる(p.139)。


      ノート
  村八分。残りの二分は結婚と葬儀。この二つは村八分でも行った。日本の村落共同体は、ハレとケを持ち、ハレの日は祭りや縁日、ケの日は日常。メリハリを持っていた。市も物資の交換、売買の場であったが、祭り・縁日と深い関係を持っている。三日市、四日市、八日市、十日市といった地名から特定日に市が立ったことがうかがえる。都市と農村の差は以前よりは少なくなった。むしろ地方都市に住む者の方が、都市部に住む者より豊かな生活をしている場合もある。インターネットの普及がより良い地方の活性に結びつくことを祈りたい。
 現在、日本人の共同意識があるとすれば、やはり金を中心とした意識、拝金主義であろう。この75年にアメリカから刷り込まれた考え方である。無縁社会と言われて久しいが、どのような共同意識を持つか今後の課題である。過去に学んで、リメイクして突破口を見出したい。勉強、研究を続けたい。
                          
                                  2022.5.9 月

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