藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

日本人の表現力

 


   

            赤     石  
日本人の表現力 大藤時彦  柳田国男(昭和53)pp.145-171
     日本人は表情にとぼしいとよく言われるが、日本ではごく狭い世界によく気心の知れあった者同士が何代となく年月を重ねて生きてきたので、微細な顔面の表情だけで相手に気持ちを伝えることができた(p.147)。
    内的表現、つまり頭脳の中に描く象形について、日本人は自然物を象形的に見る習慣が強いように思われる。岩石や樹木の形を人間や動物の形に見る牛石やかさ松と呼ばれる木石があり、それが地名となり伝説として語られている。日本人にはこの好奇心が色濃く見られる。日本人は石に対して、特殊な考え方を古代から持っていた神体石やエビス石といって海岸から赤石、白石、青石、縞石などを拾ってきて祭る例もある。文字石という文字と思われる図形のあるものを大切にした。生石という大きく成長する石もあった。周囲が海で、内陸に大小の渓谷が多いので、自然奇異な形をした石が豊かに得られた。神霊の依り代として丸い石とか玉とかいうものを霊物として考えていたようである(pp.149-150)。
 言語生活において、敬語、代名詞の多さ(わたし、あなた、おれ、おまえ、ぼく等)、女性ことばが特徴的なものである(pp.151-156)。 
    漢語をしげく使い、漢字を必要とする生活は明治以後急激に増大してきた(p.164)。
表現の外形にとらわれる傾向が強く、実質より名称を気にする。日本一とか東洋一、世界一という表現に興味を抱き、大学、博士という肩書きを過度に尊重するのはいずれも名前を重しとするもので、名称に人を左右する力を信ずる前代人の心理が背景になっているのかもしれない(pp.168-169)。


  ノート
 石は日本文化の中で面白い位置を占めている。君が代の「さざれ石の巌(いわお)をとなりて」という「さざれ石」はマグマが冷えた時に液体から個体になった子石の集まりであるが、古代人はそれが時間とともに大きくなって巌になると考えた。大きな石は「岩船」などとも呼ばれ、関西では「河内磐船」(かわちいわふね)という地名がある。宇宙船と想像する人もいる。「岩戸」という地名も多い。ちなみに、筆者はかつて40年ほど前に「東京都狛江市岩戸北○○」と言うところに住んでいた。信長は安土城に礎石として「蛇石」を埋めさせたが、陰陽五行による地震予防だったのかもしれない。
 名称、肩書きを重んじるのは、個人の能力より、どういう組織、会社に属しているかを重んじる日本社会の特徴であり、中根千枝氏が『タテ社会の人間関係』で論じたとおりである。「個人」より「場」「人目」を気にする日本人のぬぐいがたい習性であろう。 
                            
                                 2022.5.10 火

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